第一・五章

二〇七〇 Ⅰ

 晴歴二〇七〇年。かつて世界一安全だとまで言われていた国、オウキョウは、『メッソ教』という宗教団体の軍事介入によって、今や世界で最も危険な紛争地帯と化していた。
 ヒタラカ区、ハズクシティのモールタワー。
 私、羽矢ユイは、十年ぶりにこのショッピングモールに足を踏み入れた。
 ……ある事件をきっかけに、モールタワーは廃墟になった。私はこの事件に関し、あらゆる手を尽くしてデータ収集を行ったが、結局有力な情報は得られず、詳細は分からないままだ。
 十年前。九歳だった私は、このモールタワーに孤児院から『遠足』という体で『一般人視察』に連れてこられた。
 私の属していたメッソ教の『またたき星』は、孤児院とは名ばかりの、従順なメッソ教徒を育成するための強制収容施設だ。幼い子らを洗脳教育し、将来的に戦闘兵器として利用する。その為に、孤児院の地下では射撃演習が毎日のように繰り返されていた。
 従わない子供は、皆の前で見せしめに殺される。私たちは恐怖に支配され、死にたくないという一心で彼らに従い続けていた。
『見つかって殺されてもいい、最後くらい一般人の子供になってみたい』
 そんな私の我儘は、仲の良かった孤児院仲間が、私の逃走に協力してくれたことで叶うことになる。
 モールタワー内でシスターの目を盗んで逃げ出した私は、蒔本コウという女性に出会い、ほんのわずかな時間だが、一般人のふりをしてちょっとした観光を楽しむことができた。
 その時訪れた、孤児支援のボランティア施設『ゆうやけ』内で、一般の孤児の子供達と触れ合うことで、私は自身に足りなかった温かい心を思い出した。しかし同時に、この子達は何も知らないまま、いつかメッソ教の奴らが力を付けたとき、私と同じような深い絶望を味わうことになってしまうのではないかと不安にもなった。
 それが顔に出てしまったのか、ゆうやけにいた中学生くらいの男の子が私を心配してくれたことを、今でもよく覚えている。
『君は外部の人間なのに、ここの子達を心配してくれるんだね。僕も、オウキョウの未来の雲行きは怪しいと思ってる。君みたいな子が、時代を切り開いてくれたら、個人的にはうれしいなぁ』
 今思うと、やけに達観した子だったように思う。けれど彼のその言葉は、私の胸にしっかりと刻まれ、私はその時、孤児院に戻る決心をしたのだ。

 コウさんに別れを告げ、血眼で私を探すメッソ教徒達をなんとか掻い潜り、単身こっそりと孤児院の施設に戻った私は、他の子供達を奮い立たせ、レジスタンス『散華《さんか》』を結成した。

 ――そしてそこから、反撃が始まったのだ。

 二〇六〇年。私達の最初の教会攻撃は、衝撃的な事件として、ニュースで大々的に取り上げられた。教会が一つ燃えた程度の事が大ニュースになっていた事を思うと、あの頃はなんて平和な世の中だったんだろう。
 そんなことを思い出しながら、私はモールタワーの一階に侵入し、吹き抜けの中央に立って真上を見上げる。ホバーバイクも、ホログラムの広告も、もうどこにも存在しない。ただ遠くに、丸い青空が見えるのみだ。
 私達が最初に教会を襲撃した時、この吹き抜けにも臨時ニュースが流れたのだろうか。そしてそれを、蒔本コウは見たのだろうか。
 今やそれを、確認する術はない。

 モールタワーは、私の全てが始まった場所だ。今も私の記憶の中で、色鮮やかに輝き続けている。けれど、十年ぶりに来たこの場所にあるのは、ひび割れた壁、錆びたエスカレーター。何もかもが色をなくした世界だった。
 残念ながら、建物内へのエネルギー供給は絶たれているため、ホバーバイクもエレベーターも使用することはできない。目的地までは、この錆び切ってただの階段になってしまったエスカレーターを、自分の足で上っていくしかないようだ。
 ……しかし、妙だ。使えそうな物資が根こそぎ奪われた後とはいえ、雨風を凌げるだけの部屋が無限にあるはずのモルタワに、人の気配が無いだなんて。
 慎重にエスカレーターを上り、ようやく六十五階まできた。ここは妙な男の倉庫、そしてゆうやけのあった階だ。
 結局、ここまで生物の気配は全く無かった。レーダーをチェックしたが、アンドロイド兵器の反応も無いようだ。
 とはいえこれが、何らかの罠である可能性も否定できない。私はこれまで以上に気を引き締めながら、一段一段、上へ上へと上っていく。
 そして私はついに、八十一階にやってきたのだ。

「あった……。」
 思わず私は、声を出してしまった。『マキモト商店』が、まさかそのままの形で存在するとは思わなかったからだ。錆びついてはいるが、店名を書いた看板もしっかりと読み取れる。
 私はマキモト商店に駆け寄り、シャッターに描かれた、店舗の特徴的なロゴマークをそっと撫でた。
「コウさん、私、いっぱい、買い物しに来たかったです」
 ああ、涙なんてもう、涸れ果てたものだと思っていたのに。頬を温かいものが、何度も伝う。ただの『ユイ』だった頃の私が、泣いている。
「やあ、お客さんかい? 若い子は久々、」
 右後方から声が聞こえた。私は瞬時にそれが、『人間のものではない』ことを判別し、声の主が言葉を発し切る前に、レーザーガンの引き金を引いた。
 振り向くと、私の一撃で『それ』は右肩を負傷していた。出血は確認できないので、やはり少なくとも人間ではない。
「流石だよ、ユイ。何の躊躇もなかったね」
 にっこりと笑うそれに、私は見覚えがあった。
「覚えてるかい? 十年前、僕はゆうやけで君にアドバイスをしたんだ」
 水兵服を着た少年は、十年前の私の記憶の中の彼と、容姿が少しも変わっていない。ゆうやけで出会った男の子。彼の言葉に背中を押されて、私は今日ここまで戦い抜いてきたのに。
「君の聞きたいことは分かるよ。まず断っておくけれど、僕は人間でもアンドロイドでもない。マスコットを連れた、水兵服の少年さ」
「マスコット……?」
「ああ。おいで、ピク。君も彼女を知ってるはずだ」
 ギィ、とマキモト商店の勝手口が開く。
 そこから出てきたのは、見覚えのあるピラミッド型のコンパニオンロボット、P―0928。蒔本コウの所持品、ピクだった。
「ピク、こんな女知らナ……アア、ユイダ! オオキクナッタ!」
 ピクは私の姿を確認すると、不規則に踊るように回転しながら、少年の元へと飛んでいく。目の前にいるピクのボディは白一色で、十年前、実際にピクと会った時や、蒔本コウを写真資料で確認した時に写っていた色とは違う。
「そのコンパニオン、蒔本コウの……。」
 私は改めて、レーザーガンを少年に向ける。蒔本コウのコンパニオンを所持する、人間でもアンドロイドでもないと名乗る未確認生物。彼は一体、何者なんだ。XRを操作し、顔認識でデータベースを探ってみるも、残念ながら、『該当ナシ』の文字ばかりだ。
「もう撃たないでよ? この服、コウに選んでもらったお気に入りなんだから」
 そう言いながら、少年が自身の右肩を左手で撫でるように触れると、私が撃った少年の肩は、みるみるうちに修復され、服の素材ごと元に戻ってしまった。
 人間のボディに限りなく近いアンドロイド兵の中には、肉体を再生できる機体も存在するが、少なくとも着用しているものまで修復できるようなものは、今まで見たことがない。しかもそれが、少なくとも十年前から存在している可能性があるだなんて、にわかには信じがたく、私は冷静さを失ってしまいそうになる。
「何度撃っても同じ結果になるから、エネルギーは無駄遣いしないほうがいい」
「あなた、一体何なの? 蒔本コウのこと、どこまで知ってるの?」
「僕はマコト。ただの少年だよ。コウのことなら、誰よりもよく知ってる。彼女だけじゃなく、ここにいた連中の見聞きしたことなら、何でも話せる。……だけど、そこのマキモト商店の中に入っていった人達は、そんな僕の昔話を、誰一人として聞いてくれなかったよ」
 ピクが出てきた時に、半開きになったままの勝手口。私は目の前の少年に警戒しながら、扉を全開にする。
「嘘……。」
 扉の中に広がっていたのは、ホバーバイクが飛び交う、かつてのモールタワーの風景。思わず息を飲むが、恐らくはドア枠のサイズで表示したホログラム映像だ。
 ホログラム無効化モードに切り替え、風景に対してレーザーガンを一発撃ち込む。しかし、目の前の風景は全く姿を変えない。
 ホログラムでないとしたら、これは古い規格の物理モニター? でも、だとしたら、さっきピクはどうやってここから出てきたんだ。
 私は疑問を解決するため、目の前の風景に手を伸ばした。すると私の手はモニターをすり抜け、映像が水面のように波打つ。
 私の立っているこの場所は無風だが、モニターの奥の指先は、風を感じていた。
 私はこの風を知っている。二人乗り。緑と赤と、銀色のバイク。優しくしてくれたコウさんの表情。
「……駄目!」
 記憶のフラッシュバックに危険を感じた私は、反射的に手を引き抜いた。
「ふふ、やっぱりユイは、僕が見込んだ通りの子だよ。みんなすぐ『そっち』に行っちゃうけど、君は違うみたいだ」
「なんなの、これ……。」
「それは、僕からすれば……そうだな、悪夢だとしか、言いようがないね。現実に絶望した人達は、夢を見るのが大好きなんだ。でも君は絶望してここに来たわけじゃ、なさそうだ。ユイ、時間はたっぷりあるんだ。蒔本コウにまつわるモールタワーの昔話を、聞いてくれないかい?」

マキモト商店 エピローグ:二〇七〇―Ⅰ

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