第二章

跳躍コンクルージョン:1

 ――ゆっくりと振り子のように揺れる電球のイメージが、私の目の前に現れる。
 その電球がゆらゆらと揺れるたび、時計の秒針の音が脳内に鳴り響く。
 
 カチ、カチ、カチ

 カチ、カチ、カチ

 これはきっと、大好きな銀時計の音。

 カチ、カチ、カチ

 カチ、カチ、カチ

 ハズクシティの小規模ショッピングモール、ハズクモール。屋外の広場に、その巨大な銀時計は佇んでいた。

 カチ、カチ、カチ

 カチ、カチ、カチ

 脳裏に広がるのは、ハズクモールで過ごした幼いころの思い出たち。
 特別な日に食べに行く、レストランのふわふわのオムライス。氷鳥書房で買ってもらった小説本は、父の友人が書いたSFファンタジー。焼き立てのメロンパンを頬張りながらマキモト商店に戻れば、父が笑顔で迎えてくれるのだ。

 カチ、カチ、カチ

 カチ、カチ、カチ

 時は無常に過ぎ去っていく。
 気が付けば、揺れていた電球が消え去り、秒針の音もピタリと止んだ。
 代わりに目の前に広がるのは、廃墟と化したハズクモール。
 取り壊し寸前の銀時計の前で、私は深緑の制服を着た、年老いた男性と対峙していた。
 「モールタワーにけぇへんか? ここにおっても、この銀時計と同じで、コウちゃんの時間はいっこも動かへんままや!」
「止めたのはお前だ!」
 子供特有の金切り声で、かつての私が叫ぶ。
「ここは、ハズクモールは、私の全てなんだ! 私は、私だけは! 絶対に離れたりなんかするもんか!」
 ハズクモールが、父が、大好きだった。これからもずっと、この商店街で、幸せに暮らしていくんだって、そう思っていた。

 ……なのにどうして、波形のおじさんはハズクモールを壊してしまうの?
 ヒロくんだって、今日はおじさんの後ろに隠れて見てるだけだ。
 マキモト商店はオウキョウ一番の優しい電気屋さんだって、おじさんもヒロくんも、言ってくれたのに。
 どうして、こんなことをしたの?

「なあ、コウ……。」
「うるさい! ヒロくんだっておんなじだ!」
 心配そうに話しかける少年を、幼い私は乱暴に拒む。
 そして、声を張り上げて『こう』叫んだ。
 「――――――! ――――――――!」
 唇を噛むおじさん、目を見開いて驚く少年。
 彼らの表情だけは、今でも鮮明に記憶している。
 けれど私がこの時、一体どんな言葉を発したのかだけは、いつの間にか思い出せなくなっていた。

§

「おはヨ! コウ! 朝! おはヨ!」
 ピクの声を聞いて、いつものように目を覚ます。なんとなく気分が沈んでいるので、覚えていないけれど、恐らく夢見が悪かったんだろう。
 私の見る悪い夢は、大概が子供の頃の記憶に関するものだ。父を自殺で亡くしているので、それなりに心の傷はある。でも、だからといって思い出すたびいちいち沈んでいては仕事にならない。今日は平日、営業日だ。しゃきっとしなければ。
 私はベッドの上で大きく伸びをすると、寝汗をかいていたこともあり、シャワーを浴びてから朝食の準備をすることにした。
 カチ、カチ、カチ
 シャワーを浴びていると、頭の中に聞き覚えのある音が響き渡る。何となく懐かしさを感じる秒針音。脳内にその時計の丸い輪郭がぼんやりと……。
「あー! 駄目駄目!」
 恐らく私は、この音を夢の中で聞いたのだろう。直感的に思い出さないほうがいいと判断した私は、シャワールームで大きな声を出す。すると、外にいるピクが驚いたのか「どうシタ! どうシタ!」と声を掛けてくれた。
「ピク! 何か再生して!」
 とにかく、気を紛らわせよう。ピクに音の再生を依頼すると、即座に室内に音楽が流れ始めた。
『――お送りしたのは、ルノカの新曲、SHAPE。今月末98で初のワンマンライブやるらしいけど、チケット完売らしいじゃん? それでは次の曲――』
 次々と流れてくるラジオの音楽を聴きながら、朝のルーチンをこなす。朝食を食べ終え、仕事着のエプロンの紐を結ぶ頃には、気持ちも落ち着いて、普段の自分に戻ったつもり、だったのだが。
 開店時間になり、シャッターを上げると、カウンター前に見覚えのある男が立っていた。深緑の制服、整った顔立ち。ハケイン鉄道の若社長だ。今日は一体、何の用事だろう?
「どうしたの、ヒロく……。」
 思いもよらず口走った言葉に、私は素早く手で口元を押さえたが、目の前でわざとらしく咳払いする社長を見るに、どうやらしっかり聞かれていたらしい。
 『ヒロくん』なんてあだ名で呼んでいたのは、もう何年も前の話なのに。どうやら私はまだ、寝ぼけているらしい。
「……それはあれか、新手の嫌みかなにかか?」
「ごめん、ちょっと寝ぼけてただけだってば。もしかすると、昔の社長が出てくる夢でも見てたのかも?」
 社長こと波形ヒロキ……ヒロくんは、父であるサダヒロさんの使う古い方言の影響を受け、学生時代は口調がかなり訛っていた。しかし、学校という小さな箱庭の中で、彼のその特徴は異端視され、孤立していたようだ。
 彼が学校の外でクラスメイトに心ない言葉を投げかけられるのを見かける度、私は「ヒロくんをいじめないで!」と、彼をかばっていた。
 ……社長と私は六歳差で彼が年上なので、今思えば、彼は心中複雑だったかもしれないが。
 サダヒロさんから事業を受け継ぎ、ハケイン鉄道の社長に就任してからはすっかり方言を話さなくなってしまったけれど、今でも社長が誰かと衝突している姿を見ると、つい彼をかばいたくなるのは、子供の頃の名残だと思う。
「昔、か。君も私も色々あったが……いや、今は昔話はよしておこう。今日は、うちのボケ老人が君をご指名だからな」
「社長、自分の父親なんだからもっとこう、呼び方があると思うんだけど」
 ボケ老人とは、ハケイン鉄道会長の波形サダヒロさんのことだ。確か今年で、七十になるのだとか。現代社会の寿命のことを考えれば、まだまだお若いほうだ。
「実際、会話をしていても話が噛み合わんのだ。しかも、一度言い出したことがその通りにならなければ、子供のように駄々を捏ねるときた。今日も、電話で事足りる用事だというのに、たまには直接君に会ってこいと言われて、渋々出向いてるんだ。全く、三十分後には定例会議が始まるというのに」
 社長は腕時計をちらと見ながらため息をついた。
「忙しい中お疲れ様。それで、サダヒロさんの用事って、いつものあれ?」
「ああ。だが、別に律儀に聞く必要はない。営業時間に個人経営店の店主を呼び出して、販売とは無関係の雑談を持ち掛けるなんて、私から言わせてもらえば、非常識極まりない行為だ」
「もう、社長は頭固いんだから」
「かたイ! かたイ!」
 茶々を入れるピクに、私はうんうんと頷く。サダヒロさんは数ヶ月に一度、気まぐれに私をお茶に招いてくれるが、話す事も近況報告くらいなものなので、長くてもせいぜい三十分程度。うちは個人店舗で従業員も雇っていないので、急な営業時間の変更にも柔軟に対応できる。しかも、社長や会長宛ての(恐らくは届きすぎて余っているであろう)高級茶菓子が頂けるので、声が掛かるのを楽しみにしているくらいだ。
 私は二つ返事で承諾し、お茶会会場であるハケイン鉄道管理事務所に向かうことにした。
 事務所に戻る社長の銀色のホバーバイクに続いて、私も後ろからバイクで追いかける。ハケイン鉄道管理事務所のある六十階は、受付ロビー以外は関係者以外立ち入り禁止のエリアなので、店長会議がある時以外に立ち寄ることは滅多にない。
 六十階に到着し、事務所までの道中、社長を見て挨拶する人たちと何度か遭遇したが、彼らは皆揃ってスーツ姿だった。モルタワの四十階から六十階まではオフィスエリアになっているため、他の小売店が立ち並ぶ階層とは雰囲気が違い、基本的に静けさと緊張感の漂う階層になっている。有名企業のオフィスも数多く入っているので、廊下を歩く社員証を身に着けた人たちは、きっと私とは比べ物にならないくらいの年収があるんだろうな……なんて、つい下世話なことを考えてしまったり。少なくとも、エプロン姿の私は明らかに場違いだろう。
 ハケイン鉄道管理事務所の受付を顔パスで通り過ぎた社長に続いて、事務所の一番奥にある客間の前まで移動する。その部屋は会長専用らしく、今時珍しい和室仕様だ。襖《ふすま》の前で立ち止まると、社長はこちらを振り向くことなくこう言った。
「……無理は、するなよ」
「どういうこと?」
「……ボケ老人の話を真に受けるなということだ。昔話ばかりするからな」
「まあ、人間年を取るとみんなそうなるって言うし、別に気にしないよ?」
「そういう事を、言いたいわけではないんだがな……まあ、いい。会長、入りますよ」
 社長の言葉の意図が分からず、首を傾げる。しかし、襖が開き、畳に座って和装で緑茶を啜るなんていう、古風なことをしている老人が視界に入ってきた瞬間、何を疑問に思ったのかすぐに忘れてしまった。この男性が、ハケイン鉄道の会長、波形サダヒロである。
「コウちゃん、久しいなぁ。何年ぶりやっけ?」
「サダヒロさん、去年の十月くらいにも、一度こうしてお茶しましたよ。あと、月初にもお正月のご挨拶をいただきましたし」
 確かに、以前にもましてなかなかのボケ具合だ。社長はそんな会長を見てため息をつくと、そろそろ会議に向かうからと客間を後にした。私は靴を脱いで和室に上がると、ちゃぶ台ごしにサダヒロさんの正面に座る。どうやら、今日の和菓子はカステラのようだ。
「見ない間にえらいべっぴんさんになったなぁ。ユメさんそっくりや」
 『ユメさん』。その名前を聞いて、体がこわばる。それは、父を見限って出て行った人の名前だ。一体何年ぶりに、耳にしたか分からない。
 ……ああ、そうか。社長が『無理するな』と言った真意が分かった気がする。サダヒロさんはこれまで、私に気を遣ってか、私の過去に関する話題に触れてこなかった。けれど、どうやら今のサダヒロさんは、そういう配慮を一切してくれないらしい。
「ああ、あの娘……どっかいったんやったな……。ごめんな、コウちゃん。最近ちょっとココがあかんのや」
 サダヒロさんは、自分の頭にトントンと触れた。
「サダヒロさんは別に間違ったこと言ってるわけじゃないですから、大丈夫ですよ」
 そう、目の前にいるのはお年を召した男性なのだ。いちいち気にしても仕方ない。けれど、ああ、困ったな。これ以上ここにいると、思い出したくないことを思い出してしまうような気がしてならない。
 せっかく頂いている茶菓子の味がよくわからなくなるくらい、かつて無く緊張しながらサダヒロさんとの会話に挑む。しかし、幸いなことにサダヒロさんは、それ以上私に関わる昔話をしてくることはなかった。
 「……ん? コウちゃん、テーブルのこの封筒はなんや?」
 他愛のない会話を一通り済ませた頃、サダヒロさんはちゃぶ台の上にある白い封筒について言及した。しかし、この封筒はこの客間にお邪魔した時から置いてあったもので、私にはそれが何なのか分からない。
「サダヒロさんのじゃ、ないんですか?」
「……手紙を書いた覚えは、無いんやけどなぁ。いや、最近はこんな頭や。書いたん忘れてしもたんかもしれへん。でもここに置いたってことは、多分コウちゃん宛やな。開けてみてもええで」
「じゃあ、開けてみますね」
 サダヒロさんに言われるがままに、封筒を手に取る。両面真っ白で何も書かれていないそれの封を切ると、中からはがきサイズのカードが一枚出てきた。
「『……ハズク駅を九時に爆破しに参上する。腕を洗って待っていろ』……って書いてあります」
 腕を磨くわけでも、首を洗うわけでもないらしい。いや、そういう問題ではないのだが。その字はかろうじて読めるレベルの桜郷《オウキョウ》語で書かれていて、少なくともサダヒロさんの字ではない。
 サダヒロさんにもカードを見せて、互いにしばしの沈黙。そして数秒後、私とサダヒロさんは同時に口を開いた。
「……子供のいたずらですね」
「……子供のいたずらやな」

§

『……うまくいったな、アム姉』
『うまくいったよ、ムル坊』
 暗闇の中、くすくすと笑い合う二人の少年少女。彼らの手元には、XRのホログラムモニターが。そこにはオウキョウの隣国、イペルタの文字で『開封通知』と書かれている。
『オディオンの様子は?』
『今日も変わりないね。ただ、敷地が広いみたいだから、カメラを増やしてもいいかもしれない』
『鉄道会社が慌てふためく様子、実際に見たかったねー』
『だねー』
 イペルタ語で話す、声質も顔もそっくりな少年少女は一卵性双生児の双子で、色違いのお揃いの服を身に纏っている。その服装は彼らの故郷であるイペルタの民族衣装だが、イペルタ人の普段着はオウキョウと同じく洋服である。彼らが民族衣装を着ているのには、ある理由があった。
「こら、二人ともなぁにサボってんだ! 金稼ぎたいなら、しゃきっとしな!」
 女性の怒声と同時にバサ、と布擦れの音がして、双子は暗闇の中から引きずり出される。彼らはキッチンの片隅で、テーブルクロスを被りながら会話していたのだ。
「まったく、テーブルクロスで遊ぶんじゃないよ」
 テーブルクロスを丁寧に畳みながら双子を叱っているのは、この店……『条々飯店』の店長、『三条サトミ』だ。オウキョウにやって来たはいいが、お金がないと嘆いていた双子を雇った彼女は、彼らに仕事を教えるために日々奮闘している。イペルタの民族衣装風の制服はよく似合っているし、こうしてテーブルクロスでふざけるのも、子育て経験のある彼女にとっては許容範囲内。しかし彼らを扱う上で最も大変なのは、言語の壁だった。
「サンジョー、ごんにー」
「ごんにーって何だ、ごめんなさいのつもりかい? どうしたらもう少し、桜郷語がうまくなるかねぇ」
「サンジョー、もすぐ閉店時間か?」
「逆だ逆、開店時間だよ」
「オーキョ語、ムツカシ!」
「旦那はイペルタ人だったけど、あたしはさっぱりだからねぇ。ま、ここで暮らしたかったら覚えていくしかないさ」
「わかた! ガンビャル!」
「ガンビャルー!」
「威勢だけはいいんだけどねぇ。注文の取り間違いだけは、もう少し気をつけな。ここにくる連中は優しいからいいけど、クレームがついたらあたしの責任になるんだから。ほら、開店時間だよ。シャッター開けて、準備しな」
 三条が手を鳴らすと、双子はてきぱきと開店作業を進めていく。彼らはちょっとした料理の下ごしらえや雑務は、完璧にこなすことができる。ここがオウキョウではなく母国イペルタであれば、彼らは何をやらせても優秀な人材なのだが、ここオウキョウにおいては、カタコトの桜郷語や壊滅的な読み書き能力がなかなか改善されないせいで、頻繁に注文を取り間違えたりと、常連客からはドジのレッテルを貼られていた。
「もうやってるかい?」
 カランカラン、と入り口の鐘を鳴らして三条飯店に入ってきたのは、トレンチコートを着た男と少年。彼らが今日の、最初のお客のようだ。
「いらさいまーせ!」
「いらさいまっせー!」
 双子が元気よく挨拶すると、トレンチコートの男はニッと笑った。
「おーおー、今日も元気だな。こないだの炒飯美味しかったぜ。……頼んだのは青椒肉絲《チンジャオロース》だったけどな」
「羽矢さん、この子達、イペルタ人かな? いいなぁ、僕もそういう制服みたいなのが欲しいな。通信学校だから、制服ってないんだよね」
「おー、マコト。よく分かったな。チェスだけじゃなくて人間観察も上手いんだな。しっかし、俺が中学生相手にチェスで負けるとはなぁ。ここ数年は負けたことなかったんだが」
「羽矢さんはなかなか強いほうだったと思うよ。ゆうやけにいる子達相手だと手加減してあげなきゃいけないから、久々に本気になっちゃったよ」
 姉のアムは雑談する男と少年のテーブルに水を置き、弟のムルは注文を取るためにメモ帳と鉛筆を取り出した。
「おにさんたち、なにする?」
「俺は今度こそ青椒肉絲のAセットだ。マコトはどうする? 俺の奢りだ、何でも好きなの頼めばいいからな」
「麻婆豆腐にしようかな。あ、単品で」
「青椒肉絲、Aセット、麻婆豆腐……あいわかった!」
ムルは注文をメモすると、厨房に走っていく。
 「店内を走るんじゃない」という叱り声が聞こえてきてくると、テーブルの男二人は顔を見合わせて笑った。
「今度走ったらバイト代から引くからね。それにしても、羽矢さんまた来てくれたんだね。ゆうやけのボランティアの人だっけか。リピーターが増えるのは嬉しいことだよ」
「おしいなー。サラダ付きはBセットなんだよな。ま、値段は変わらないからいいけど」
「あり? もしわけございまーせ」
「麻婆豆腐は合ってたよ。いいね、美味しそうだ」
 料理が出来上がり、テーブルに注文品を並べていく。注文間違いを指摘されるも、客がさほど気にしていなさそうな様子に、ムルは安堵した。どうやら注文メモの字が汚すぎて、三条が見間違えたようだ。
『あまり気に病むことはないさ。言葉はゆっくり覚えたらいい』
 そうイペルタ語で励ましの言葉を掛けたのは、麻婆豆腐を頼んだ孤児支援施設「ゆうやけ」に通う中学生、マコトだった。
「お前、それイペルタ語か? 何て言ったんだ?」
 青椒肉絲を堪能していた羽矢も、マコトのイペルタ語に興味津々だ。
「どんまい、みたいな感じかな。うまく通じてるといいんだけど」
『お前、イペルタ語うまいな。ほとんどネイティブと変わらない発音だ。なあ、アム』
『うん。ムル、オウキョウの学生って凄いんだね。イペルタとは教育レベルが段違いだ』
 マコトのイペルタ語を聞いて大はしゃぎでイペルタ語で反応する双子を見て、羽矢は「やっぱりお前、天才だな」と言いながら、マコトの頭を撫でた。
「羽矢さんは大げさだなぁ。イペルタ語には漢字もあるし、共通点は多いからね」
「いや、イペルタ語って結構複雑だって聞くぞ。訛りの地域差が強くて、翻訳ソフトがアテにならんらしいし」
「訛りといえば、ここの会長とかが話してる、古いヒタラカの訛りのほうが聞き取り辛いかな。最初は本当に何を言ってるのかさっぱりだったよ」
「ああ、ここヒタラカ区とお隣のキトヨウ区辺りの方言は、ちょっと癖が強いからな」
 羽矢とマコトはその後も言語の話で盛り上がっていたが、羽矢のXRが着信音を鳴らしたところで、会話は中断された。
「おっと、急ぎの用事だ。マコト、とりあえずこれで払っといてくれ。釣りはやるよ」
 そう言い残してお札をテーブルに置くと、羽矢は電話を取りながら慌てて店の外に出て行った。
「ま、お釣りは後で返すけどね。双子君、会計をお願いしてもいいかい」
「はーい」
 アムとムルはマコトのテーブルに駆け寄ると、現金を預かり三条の元へ。電子通貨以外の決済は、金額間違いのトラブルの無いように、基本的に三条が管理しているのだ。
「釣り、どぞー」
「確かに。それじゃ、ごちそうさま。麻婆豆腐美味しかったって、奥の店主さんに後で伝えておいて?」
「おう、サンジョー喜ぶ!」
「ああ、あと一つ、君たち二人に言っておかなくちゃ」
 マコトはお釣りをポケットにしまいながら、双子を呼び止める。興味津々に自身を見つめてくるアムとムルに、マコトはイペルタ語でこう言った。
『モールタワーの住人を、あんまりナメないほうがいい。やりたいことがあるなら、手を抜かないことをおすすめするよ?』
 マコトの強い語調に双子は息を飲む。ムルは何か反論しようと口を開いたが、ムルが言葉を発するより早くマコトは「じゃあ、機会があればまた来るよ」と言い残し、足早に店を去ってしまった。
 この時の双子は、後にマコトの言葉を痛感することになるとは、露ほども思っていなかった。
 

§

「ありがとうございます。このデジタルカメラ、父の思い出の品なんです。きっと喜ぶと思います」
「倒産したメーカーでしたが、ツテに連絡したら偶然修理部材が残っていたとのことでしたので、かなり当時に近い形で復元できたかと。撮影したデータを取り出す際は、古い規格なので、変換アダプタを使用してくださいね。当店では取り扱い無いんですが、真上の八十二階に変換コードマニアの方が経営してる店があるので、そのカメラを持参すれば、すぐ用意してくれると思いますよ」
 今日もマキモト商店は絶賛営業中。相棒のピクがデジカメ修理のお姉さんの会計を済ませている間に、私は次の修理タスクを確認する。
 正月後のこの時期は、帰省時に昔のモノの話題が挙がるのか、毎年こういった思い出の品の修理が増えやすい。稼ぎ時だ、頑張らなくては。
「蒔本さんのお陰で助かりました。父はこういう電気で動く製品のマニアなのですが、もう今はメッソで動く製品が主軸でしょう? 電化製品の修理を受け付けてくれるお店も減ってきてて……。マキモト商店さんみたいなお店が、まだヒタラカにあってよかったです」
 メッソ。二〇三八年に一般流通が始まった、電気に代わるとされているエネルギー。その名称は、メッソ教という宗教団体がエネルギーを発見したことが由来となっている。
 電気よりパワフルで、電気より安い。世の中の製品は瞬く間にメッソを動力とするものに入れ替わり、今や電気は、オウキョウ国内ではマイナーなエネルギーとなってしまった。
 電気で駆動する製品はメッソと互換性がない。一般家庭では電気を引いていること自体が珍しくなった今、電化製品はマニア向けの骨董品となりつつある。
 私の店に訪れるのは、古い電化製品のマニア、あるいは、
 『メッソ教』や『メッソ』というエネルギーそのものに、反感を持つ人達であることが多い。

「うちは電気の供給がある限りは続けていこうと思っているので、またいつでも来てくださいね」

 デジカメ修理のお姉さんを見送ると、ピクは自身の体をカラフルに点滅させ、「今月の売り上げ、ジュンチョージュンチョー!」と嬉しそうに飛び回った。
「ピク、あんまりお金の話を大きな声でしないの。まあ確かに、今月はかなり順調で助かってるけどね。隣のトノヤマ電池も、正月明けから結構人の出入りあるし、バイトの小里君も忙しそう。あ、噂をすれば……。」
 隣の店舗から出てきたのは、トノヤマ電池のバイト大学生、小里ユウヤ君。彼は段ボールを三段重ねにして積んだものを抱えながら、震える足取りでゆっくりとマキモト商店のカウンター前を通り過ぎようとしていた。
「あ、コウ……さん、今日もお疲れ様……っす……。」
「小里君、それ、随分重そうだけど大丈夫?」
「今から……倉庫に……持ってい……ぐぅ……店長、やっぱこれキツ……。」
 ……どうにも余裕がなさそうだ。丁度昼前だし、気分転換がてら彼を手伝おうか。
 私はピクに店番を頼み、勝手口から出て小里君の元に駆け寄ると、彼が抱えている一番上の段ボールを持ち上げた。
「手伝うよ。どこに持っていくの?」
「コ、コ、コウさん女神っすか……。ああいや、忙しいのに手伝わせるわけにはいかないっす」
「いいよ。どこに持っていくの?」
「オナガ倉庫っす。確か、コウさんもそこ使ってませんでしたっけ」
「タロちゃんのとこか。でもこれ、バイクに乗せるのちょっと大変じゃない?」
「確かに、そーかもしれないっすね……。ってことは、六十五階までエスカレーター地獄っすか。やっぱり、コウさんに手伝わせるわけには」
「いいってば。殿山のおっちゃん、荷物運搬のロボット嫌いだから、契約してないんでしょ?」
 モルタワのエレベーターは、従業員の使用が認められていない。けれども、配達品などの荷物運搬には、業務用エレベーターが存在している。ただし、このエレベーターを乗り降りできるのは、運搬用のロボットのみ。人間が乗ることは禁止されている。
 この運搬用ロボットは店舗ごとに月額料金で貸し出しを受け付けているが、殿山のおっちゃんが借りることはまず無いだろう。
 ……なぜなら彼は、メッソで動く製品を心底嫌っているからだ。
 「そうなんすよねぇ。まあ、店長には店長なりのポリシーがあると思うんで、仕方ないっす。あ、コウさん。タダ働きさせるわけにもいかないんで、これが終わったら俺イチオシのイペルタ料理の店で、昼食でもどうですか?」
「お、小里君のオススメかぁ。いいよ、丁度お昼時だもんね」
 イペルタ料理を食べるのは久々だ。荷物運びを手伝いながら、まだメニューも見ていないのに何を注文しようかと考えてしまう。
 
 しかし、荷物を運び終え、イペルタ料理店「条々飯店」にたどり着いた私達を迎えてくれたのは、シャッターに貼られた手書きのメモだった。
「本日臨時休業……。」
「ありゃ残念。別の店にしよっか」
 仕方なく条々飯店を後にして、二人で飲食店街へと繰り出そうとしたその時、小里君のXRに着信が入った。
 『小里! 仕事は終わったか? どうせまだ昼食べてないだろうし、弁当半額だったから買ってきてやったぞ。じゃ、待ってるからな』
 そんな殿山のおっちゃんからの一方的な電話に、私と小里君は顔を見合わせる。

 ……結局その日、小里君とのランチが実現することはなかった。

次→『跳躍コンクルージョン:2』(近日公開)
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