第三章

玉石混淆インソレント

 それは、精密ドライバーを握る手が震えるほど冷え込む、一月下旬のある夕暮れ時。
 うちの店はカウンター越しにお客とやり取りをする関係上、開店中は常に外気にさらされている。私はカウンターで電子機器の修理をしていたけれど、指先があまりにも冷えるものだから、作業の手を止め、エプロンのポケットに入れていた使い捨てカイロを握って暖を取っていた。
「コウ、サムイ! 風邪ヒク!」
 相棒のピクも外気温の低下を警告してくれている。今日は冷え込むし、早めに店仕舞いしようか。
 そう考えていた矢先、お隣の『トノヤマ電池』の店長、殿山のおっちゃんがやってきた。
「ほれ」
 前置きもなくカウンター越しに差し出されたのは、一枚の紙チケット。
「何これ?」
「うちのポストに投函されてたんだが、俺は行かないから貰ってくれ。いらないなら、誰か興味ありそうな奴に譲ってくれたらいい。俺には、そういう友人がいないからな」
 チケットは半透明の厚紙に印刷されていて、中央に金の箔押しで、『CLUB98』と書かれている。投函されたチケットは一枚のみらしく、どうやらペアチケットではないようだ。
 CLUB98とは、モルタワの九十八階にある、ナイトクラブのことだ。昔は自由入場だったけれど、近年はあまりの人気具合に、チケット購入による入場規制を掛けているらしい。確か倍率も、それなりに高いんだとか。
「CLUB98のチケットかぁ」
 今まで興味がなくて一度も行ったことがなかったけれど、そういえば友人のアサが、CLUB98所属のDJのファンだったはず。もし出ているようなら、彼女にチケットを譲ろうかな。
「おっちゃんありがと。アサが欲しがると思うから、聞いてみるよ」
「おう。俺が持ってても、ただの紙っきれにしかならないからな」
 殿山のおっちゃんがトノヤマ電池に戻るのを確認すると、私は店のシャッターを閉めながら、ピクに質問をした。
「ピク、この日は誰が出てるか調べられる?」
「アイアイサー!」
 今日はお客が少なかったせいか、一日中愚痴を零していたピラミッド型コンパニオン。ようやく仕事を与えられて嬉しいのか、全身を緑色に変化させ、高速回転しながらネット検索を実行している。
「ンー、CLUB98の出演者、分からナイ! 非公開!」
 検索結果が出た。しかしどうやら、友人のアサが好きなDJ、ルノカが出てるかどうかは分からないようだ。
 とはいえ念の為、アサにチケットが必要かどうか、聞いてみることにしよう。
 ベッドに腰かけてピクに音声通話を繋ぐよう伝えると、間も無くしてアサが応答する。
 私がCLUB98のチケットを手に入れたことを知ると、彼女はハイテンションで説明してくれた。
「コウ、そのチケットなかなか手に入らないやつだよ! しかもその日、ルノカが出てる可能性が高いんだよね。コウも、生で見たら絶対好きになるって! ……それに、そのチケットは八十一階内の従業員でだけ譲渡できるものだから、どのみち私は行けないしね」
「え、これってそんなに限定的なチケットだったの?」
 よく見ると、『八十一階従業員限定、入場には従業員証明必須』とあった。殿山のおっちゃん、絶対よく読まずに私に渡したんだろうな。
「今でこそ、全国的に有名なアーティストが出てくるようになったけど、CLUB98は、うちのゆうやけみたいに、元々はモルタワのはみ出し者の居場所として作られたクラブだからね。今でも、モルタワの人はチケットが取りやすいし、たまにそうやって、ランダムでチケットの無料配布もしてるみたい」
「そっかぁ。よし、アサの好きなアーティストも出るかもしれないし、折角だから行ってこようかな」
 アサが何かに熱中する姿は嫌いじゃない。彼女は孤児支援ボランティア団体の『ゆうやけ』に全力投球していて、自分のことはいつも後回しなのだ。
 それに、ここまでゆうやけ以外のことで目を輝かせるアサも珍しい。実際、今月半ばに迷子の少女、ユイと一緒に爆音のホログラム広告で見たルノカというアーティストは、生意気そうな表情を見せながらも、力強い歌声の持ち主で、確かに興味をそそられた。もし運良くルノカが出演していて、生のパフォーマンスを目撃することができれば、アサがあれほどまでに夢中になる理由も、分かるかもしれない。
 そんなわけで、私はチケットに書かれた入場指定日を心待ちに待つことにした。
 ……その時はまだ、自身がCLUB98を巡る厄介ごとに巻き込まれることになるだなんて、思ってもみなかった。
§
「ピクも、ピクもいク!」
 CLUB98のチケットに書かれた入場指定日の夜。なぜかピクがねだってくるので、仕方なく連れて行くことにした、のだが。
「コンパニオンロボットの入場は、現在規制中だ」
 CLUB98の正面入口で本人確認の最中、ピクが原因でガードマンに止められてしまった。
「ピク、ただのコンパニオン! 悪い奴とチガウ!」
「やっぱりね。ほらピク、店に戻ってて」
「ケチ! 責任者をダセー!」
 真っ赤に発光し、不規則に回転しながら怒りを表現するピラミッド。そんな感情的なコンパニオンをたしなめていると、サングラスをしたスーツ姿の男がスタッフ用の入り口から出てきて、私に声を掛けてきた。
「おや。マキモト商店の子じゃないか」
 CLUB98の関係者に、私の知り合いはいなかったはず。サングラスで目元が見えないのでなんとも言えないが、見た目は三十代後半くらいだろうか。
「ええと、どこかでお会いしましたっけ?」
「ああ、すまない。俺はこのCLUB98の店長、大寺ミツヨシだ。君の店の通販、たまに利用させて貰っているよ」
 まさか、ピクが責任者を呼んだら本当に出てくるとは。それにしても、まさかここの店長が私の店のお客様だとは思わなかった。多少古いDJ機材やコンポ類の取り扱いはあるので、その辺りの購入者なのかもしれない。
「本当ですか? ありがとうございます。ほら、ピクも怒るのやめて。うちのお客様なんだから」
「お客サマ! 毎度ご利用ありがとうございマス!」
 お辞儀をしているつもりなのか、さっきとは打って変わって暖色のグラデーションで発光しながら、縦にゆっくりと回転するピク。全くもって、お調子者にもほどがある。
「いいね、君とコンパニオンのコンビ。気に入ったよ。普段なら小型コンパニオンの同伴は規制していないんだが、実は最近、色々あって警備を強化しているんだ。少し、待ってくれ」
 大寺さんはポケットからステッカーのようなものを取り出し、私に差し出した。
「特別入場許可証だ。これをコンパニオンくんに取り付けてくれれば、入場してくれて構わないよ。貼ってはがせるタイプだから、安心して」
「大寺さん、色々ありがとうございます。ほら、ピクもお礼」
「イヨッ! サングラス似合ってルネー! ヒューヒュー!」
 花火の効果音と共に、七色に光るピラミッド。今日のピクは一段とテンションが高い。
「……すみません」
私はピクの言動について謝罪し、ため息をつく。けれど大寺さんは、笑って許してくれたのだった。
§
 無事CLUB98に入場した私は、ピクを抱きかかえながら、会場内を見回す。
 CLUB98の位置する九十八階は、最上階ということもあり、ほかの階よりも天井が高めになっていて、思っていたよりも開放的だ。会場全体は派手で煌びやかな色とりどりのライトで照らされていて、頭上では大音量のダンスミュージックに合わせて、立体ホログラムによるパーティクルが何度も弾け、きらきらとした光が絶えず観客に降り注いでいる。
 特にドレスコードの指定はなかったけれど、普段はあまり着ないフォーマルなワンピースを着て来たのは、周りの客を観察するに、どうやら間違いではなかったようだ。
 前方のステージでは、ヘッドフォンをしたDJたちが、交代でパフォーマンスを続けている。観客は各々DJに注目したり、バーカウンターでアルコールを煽ったり、ダンスに明け暮れたりと、過ごし方はそれぞれのようだ。
 しかし、前方ステージにスタッフが白いDJブースを運び込んだ瞬間、会場がざわつき始めた。
「うわ、今日のチケット当たりじゃん」
「俺、生見るの初めてだよ」
 興奮した様子のお客が揃ってステージの方に目を向けるので、私も何事かとステージを見つめる。
 DJブースに現れたのは、ロングヘアに白衣、退屈そうな表情を浮かべた若い女性DJ。間違いない、彼女がルノカだ。
 彼女の姿が見えた瞬間、会場がこれまでにない歓声に満ちていく。やはり、相当人気があるらしい。
 歓声を浴びて満更でもないのか、彼女は口端を緩めながらDJ機材を操作し、大音量で音楽を流し始めた。
 聞き覚えのあるその曲は、以前モルタワの営業開始時間直前に流された爆音広告と同じものだ。確か、『18,000』という曲名で、動画サイトでの再生数がとんでもないのだとか、アサが力説していた。
 初めて間近で見るルノカのパフォーマンス。どうやら録音ではなく生歌唱らしく、ルノカはマイクに向かって叫ぶように歌いだした。大音量のEDMミュージックに負けないほどの力強い歌唱力に、今や会場全体の視線が彼女のものだ。
 ステージに現れた時は退屈そうだった彼女の表情も、今や恍惚としたものに変わっている。
 しかし、彼女の歌が二度目のサビに差し掛かった頃。会場の入り口が勢いよく開かれ、黒いスーツを身に纏った、体格のいい男達がクラブ内に複数人入ってきた。入り口に立っていたガードマンが困惑している様子を見るに、どうやら彼らはこの店の関係者ではないらしい。
 スピーカーを通したチッ、という舌打ちと共に、ルノカの歌唱と音楽がストップする。ルノカの歌唱に見惚れていた客達は、スーツの男達の乱入に驚き、会場はざわめき出した。
 黒いスーツの男達に続いて、深緑色の制服を着た男が会場内に入ってきた。モールタワーの若社長、波形ヒロキだ。
「ここの社長様は、営業妨害が得意なわけ?」
 わざとマイク越しに社長を煽るような発言をするルノカ。彼女に賛同した観客達も、社長に対してブーイングの声を上げる。
 ルノカは苛立った表情で社長を睨みつけているが、観客の合間から見えた社長は、特にそれを気にしてはいないようだ。
 黒いスーツの男達は、ステージ前の観客を掻き分け、社長の為に道を作っていく。
「健全な営業の為だ。ルノカ、君は規定違反の館内広告の件で、厳重注意をしたばかりだ。あまり目立つ真似ばかりしていると、疑われるぞ」
「疑われる?」
 ルノカの疑問の声を無視して、社長は首に下げた銀色のホイッスルを吹いた。
 笛の音に驚いた観客が口を閉ざし、騒ついていた館内がしんとしたことを確認すると、社長は大声を発した。
「ここにいる全員に警告する。CLUB98に出入りする人間の中に、違法薬物の乱用者、並びに売人がいる可能性が極めて高い。我々ハケイン鉄道は、今後この店の監視体制をより一層強化し、店舗健全化に努める!」
 社長の宣言と共に、会場は再び騒つき始める。
「薬物って、こないだDJがぶっ倒れたやつじゃねえの?」
「叫びながら失神したやつか」
 そんな噂話が聞こえてきたせいか、ピクの色が緑色に変化する。これは、何かを検索している時の色だ。
「三日マエ、CLUB98デ所属DJから失神者! 生死非公開、キナ臭イ!」
「こらピク、勝手に検索しないでって言ったでしょ。あんまり言うこと聞かないと、基盤変えちゃうよ?」
「それはコワイ! ピク黙ル!」
 私とピクがそうして言い合っていると、スーツの男達を従えた社長が、私の横を通り過ぎた。彼と一瞬目が合ったが、すぐに逸らされた。どうやら、スタッフルームに用があるらしい。
「社長、ピクを睨んデタ! ピク、何も悪くナイ! 特別入場許可証もアル!」
「いや、別にピクを睨んだ訳じゃないと思うよ」
 CLUB98は、常習的にモルタワ営業時間の上限である深夜一時を越えて営業を行っているらしい。前に社長と会話した時、CLUB98の時間外営業に罰金を設けたが、定期的にその罰金を支払いながらも朝方まで時間外営業を続けるものだから、新たに打つ手を考えているのだとか、ぼやいていたような。
 その時私は、CLUB98には一度も行ったことがないし、興味がないと彼に話したはずなので、私がここにいることが不思議だったのかもしれない。
 社長がスタッフルームに用があるということは、店長の大寺さんと何か話し合うのかもしれない。深夜営業の店には、きっと色々あるんだろう。
 いつのまにかステージからルノカは去っていて、スタッフが彼女専用と思われる白いDJブースを舞台袖に移動させていた。
 既に次のDJがスタンバイしているので、どうやら今日のルノカのパフォーマンスは中断されたまま、終了してしまうようだ。
 騒然としていた会場も落ち着きを取り戻し、DJが新たな曲をプレイし始めた頃には、社長が来る前の雰囲気に戻っていた。
§
 翌朝、開店のためにシャッターを開けると、カウンターの外にアサが立っていた。
「おはよう、コウ。ね、昨日ルノカが出てたって聞いたよ! ライブどうだった?」
「それ聞きに来るために、朝からわざわざうちの店に?」
 相変わらず、ルノカのことになると、子供たちの前で見せる母親のような頼もしさはどこへやら。きらきらと目を輝かせる彼女は、二十代の女性というより、少女のような印象すら受ける。私は特定の人物に熱中したことがないので、そのエネルギーが少し羨ましい。
「んー、それもあるんだけど……実は、お世話になってる人にサプライズプレゼントがしたくって。コウなら取り扱ってるかもしれない、珍しい商品が欲しいんだ」
「マニアの人? ……もしかして、好きな人でもできたとか?」
「ち、違うよ! 最近、ゆうやけを手伝ってくれてるおじさ……男の人なんだけど、古い端末が好きで集めてるんだって」
「ま、そういうことにしておこう。それで、どういう端末をお探しで?」
 私がニヤニヤしていたせいか、アサは何度も違うから! と関係を否定してくるけれど、動揺しながら言われても、説得力がない。
「もう、あんまりからかうと怒るよ? それで、その人が欲しいのは古い連絡端末なんだって。型番、メモしてきた」
「MF404……型番的に、マップフェイマーの二〇二〇年代のスマートフォンかな。ちょっとマイナーなメーカーだなぁ」
「在庫、ありそう?」
 スマートフォンは、サイズが小さくて場所を取らないこともあり、在庫はかなりあるはず。とりあえず、ピクで検索を掛けてみることにした。
「検索シタ! 在庫、ひっかからナイ! でもコウ、この間仕入れた古いスマートフォン、仕分けしてナイ!」
 そういえば最近、スクラップ品としてスマートフォンを安値でまとめて仕入れたんだった。あまりにも数が多いものだから、まだ仕分けや端末清掃、そしてピクへのデータベース登録が済んでいないのだ。運が良ければ、その中に潜んでいるかもしれない。
「もしかすると、倉庫に置いてある仕分けしてない箱の中に入ってるかも。今日中に調べておくから、後で直接伝えに行くよ」
「ありがと。持つべきものは、レトロ電子機器雑貨屋の友だね」
「そんなピンポイントな商売してる友人、滅多にいないと思うけど。感謝したまえよアサくん」
「分かってる。あ、そうだ、忘れるとこだった。ルノカ、どうだった?」
「ああ、そのことなんだけど……。」
 アサにルノカのパフォーマンス中断の一部始終を聞かせると、彼女は残念そうにため息をついた。
「そっか、最近はCLUB98も何だか大変そう。ルノカも巻き込まれないといいんだけど……。」
「真剣に歌ってる中、社長に乱入されたから、相当怒ってただろうね」
「そりゃそうだよ。その場にいたら、私でも社長にブーイングの声を上げちゃいそう」
「まあ、社長も深夜まで大変だと思うし、あんまり責めないであげて」
 年々眉間のシワが深く刻まれていく、仕事第一主義者な社長の顔つきを思い浮かべながら、私は苦笑いする。
「コウは何だかんだ言いながらも、いつも社長の味方だよね。……コウの方こそ、実は社長とデキてるんじゃないの?」
「無い無い、ただの腐れ縁。そもそも、私とは生きてる世界が違いすぎるしね」
 ただの拾われ商人と社長様では、月とスッポンもいいところだ。
「生きてる世界が違う、かぁ。私がルノカに憧れるのも、きっと違う世界に生きてるみたいで、眩しいからなのかもしれないな」
§
 仕入れたままになっている商品を、きちんと仕分けるいい機会でもある。
アサに頼まれた商品を探しに、私は早速、六十五階のオナガ倉庫に向かった。
「コウくん。君、昨晩CLUB98にいたでしょ?」
 オナガ倉庫に入って早々、私はタロちゃんこと尾坂タロウに、ナイトクラブにいたことを指摘された。
「タロちゃん、何で知ってるの?」
「あそこに設置してるセキュリティロッカーの設置開発に、ボクが一枚噛んでるのさ。関係者ってことで、ボクはクラブにいつでも出入り出来るパスを持ってるんだ。最初はどうでもよかったんだけど、天才DJルノカ様が出てきてからは、ボクも常連になったってワケ」
「彼女、ほんとに人気なんだね」
「そりゃもう、作曲から歌唱まで全部自分でやっちゃう天才トラックメーカーだからね。CLUB98なんて小さいハコに専属なのが信じられないくらい、オウキョウでは流行ってるんだぜ?」
「動画が一億回再生されるくらいだもんね。モルタワにそんな有名人がいるなんて、今年に入るまで全然知らなかった」
「相変わらず、コウくんは流行りに疎いなぁ。……にしても、コウくんがナイトクラブに出入りするようになっただなんて、おじさん、何だか時の流れを感じてしまったよ。この間まであんなに小さな少女だったのに。ほら、それこそこの間来てたユイちゃんくらいの背丈で……。」
「はいはい、分かったからそろそろ倉庫に入らせて」
 タロちゃんが昔話をし始めると、止まらなくなるのだ。早々に話を切り上げると、私は認証を済ませて自分のコンテナに向かった。
「HS—03C……243D……あった、MF404、これだ」
 スクラップ品として段ボール一箱分で買い取った端末群の中に、私はその機種を発見した。
年代もメーカーもランダムに封入された箱の中に、このマイナー機種が偶然入っていたのは、アサの日ごろの行いがいいからだと思わざるを得ない。
 MF404を充電器に刺すとランプが点灯し、起動が確認できた。
 とはいえ、四十年近く前の端末なので、いつまで持つかは分からない。
 工具一式は持っているので、とりあえずバッテリー膨張が無いかだけ確認することにする。
 端末を充電コードから抜いて、倉庫内の簡易作業用テーブルに移動させようとしたその時。
 倉庫の扉が開く音がしたかと思うと、振り向いて確認する間もなく、右手首を後ろから何者かに強く握られる。
 その拍子に右手に持っていたMF404から手を離し、床に落としてしまう。
「ちょっと、誰ですか? 離して!」
抵抗を試みるも、さらに強く手首を握られてしまう。
 痛みと恐怖で、うまく身動きできない。
「その端末を、彼女に渡してはいけない」
 背後から聞こえてきたのは、低い声。恐らくは男性だろう。
 彼女とは、アサのことを言っているのだろうか。
 後ろを振り向いたが、全身黒ずくめな上、フードを被っていて顔が確認できない。
「抵抗はするな。従わなければ、君の右手は使い物にならなくなるだろう」
「誰なんですか、あなた」
「……。」
 当然ではあるが、男は答えようとしない。
「この端末は貰っていく。危険な代物だ。君も、こんなものは取り扱わないほうがいい」
 男は私の腕から手を離すと、私が床に落としたMF404を拾って懐に忍ばせ、そのまま倉庫から走って逃走した。
 痛む右手首をさすりながら、私は力が抜けてその場に座り込んだ。
「一体、どういうこと……?」
 MF404。あれはただの、スマートフォンではないのだろうか。
 とにかく、呆けている場合ではない。深呼吸して息を整えた私は、倉庫エリアから小走りで脱出する。
「タロちゃん!」
 受付にいるタロちゃんは、カウンターにうつ伏せで倒れていた。
「い、生きてる? タロちゃん、タロちゃん!」
「んー、んんー?」
 タロちゃんが、あくびをしながら起き上がる。
 どうやら眠っていただけのようだ。
「あれ、さっきの黒い人は? ……ああまさか、ボクはあの男に眠らされてたとかじゃないだろうね?」
「直接は見てないから何とも言えないけど、そのまさかかも」
 痛む右手首を押さえる私の姿を見て、タロちゃんは顔色を変えた。
「こりゃ、ただ事じゃないな」
 タロちゃんはXRで素早く何十ものホログラムモニターを立ち上げ、監視カメラやセキュリティに異常がないかを確認し始める。
 そして、タロちゃんの調査の結果、私が倉庫に入ってからの十分間のカメラの記録データが、再生不可能になっていることが判明した。
「お手上げだ。自慢じゃないが、ボクが直接開発したここの倉庫のセキュリティは、民間レベルではトップ10に入る強固さがウリなんだ。強行侵入されたのに、エラーの一つも出やしない。こんな真似が出来るとんでもないやつが、一体コウに何の用事があったってんだ?」
 私は倉庫内で起こった一部始終をタロちゃんに話したけれど、MF404についてはタロちゃんも詳しくはないようだ。
 ともかく、二人でどうにかできる話ではないので、桜郷《オウキョウ》警察に通報することにした。
 結局、その日は取り調べで一日が終わってしまい、アサにそれを報告することもできなかった。
——私はこの日、二度嘘をついた。
 一度目は、タロちゃんに倉庫内で起こった一部始終を伝えたとき。
 二度目は、警察官に、男に何か言われたかと尋ねられた時だ。
『その端末を、彼女に渡してはいけない』
そう言ったフードの男の言葉を、私は誰にも伝えられなかった。。
 『彼女』が指すのは、私の勘違いでなければ、アサのこと。
 私は彼女を信じたいし、彼女を厄介ごとに巻き込みたくはない。
 この判断が悪い方向に影響しないことを、私は祈るしかなかった。
§
 モールタワー九十八階にあるナイトクラブ、『CLUB98』。
 そのスタッフルームの一角で、私はフロアから漏れ聞こえてくるリハーサルの音を耳にしながら、XRのホログラムモニターを眺めていた。
『CLUB98で薬物乱用疑惑!』
『人気DJルノカもキメてる? 最新ドラッグ事情』
 今、ネットで『CLUB98』と検索すれば、愉快な記事が腐るほど検索結果に躍り出てくる。
 ガードマンを多めに雇っているとはいえ、くだらない記者が開場前に押し掛けてくることも多々ある。
 最初は面白がっていたけれど、いい加減うんざりしてきた。
「あーあ、せっかくの夜なのに、ロクに曲も書けやしない」
 私が大げさにぼやいていると、ここの責任者であり、私のプロデューサーでもある大寺ミツヨシがスタッフルームに入ってきた。
「やあ、ルノカ。遅れてすまん。今日のコンディションはどうだい?」
「気持ち的には最悪ね。とっととこの件が終息してくれることを祈るしかないわ」
「俺も日中、解決に向けて努力はしているさ」
「努力、ねぇ」
 入り口付近の壁にもたれ掛かり、手元のホログラムモニターで今日の予定を確認している大寺をじっと見つめる。
 最近の彼は、厚手のコートを羽織ったまま、仕事着に着替える間もなく、こうしてスタッフルームに慌てて入ってくることがほとんどだ。
 背丈、体格、足の長さ。私は頭の中で、重要でないと定義された記憶を、必死で思い出しては繋ぎ合わせていた。
 そしてようやく確信を得る。やはり『あれ』は、彼なのだ。
「ねえ、大寺。今日の昼間、六十五階に行かなかった?」
「……もしかすると、行ったかもしれない。最近は薬物騒動の件で色々ややこしいことなってるからな。モルタワ内を、方々に動き回っているのさ」
「脱いで」
「……何だって?」
「聞こえなかった? そのコート、脱いでくれない?」
「そうだな、脱がせてくれるってんなら、考えるけど?」
 大寺は茶化してごまかそうとしているようだけれど、そうはいかない。
 私は大寺に近づくと、コートのボタンを上からひとつずつ外していく。
「うわ、ちょ、ルノカ! やめ、嫁に行けな、」
「誤解を招く発言するのはやめなさい、廊下に聞こえるでしょうが」
 そうは言いつつも大寺が抵抗しないのは、多分もう、観念しているからだろう。
 コートを脱がせると、彼はその下にフードの付いた真っ黒なパーカーのような服を着ていることが分かった。
 フードを彼の頭に被せると、すっぽりと顔が隠れてしまう。
 ……やっぱりそうだ。彼は昼間、この姿で動き回っている。
「で、大寺。日中あんたがその姿で何をやってるのかは知らないけど、私の目に触れるような真似はやめて欲しいわけ。……言ってる意味、分かるわよね?」
「……君が心配なんだ。それに、」
 大寺の言葉はそこで中断されてしまう。
 甲高い叫び声が、ステージの方から聞こえてきたからだ。
 今リハーサル中だった、DJ仲間のココノの声に違いない。
 私はスタッフルームから飛び出そうとするが、大寺に入り口を塞がれてしまった。
「もう手遅れだ」
「……あんた、何も教えてくれないくせに、何でも知ってるのね」
「すまない」
「私は謝罪が聞きたいわけじゃない」
「君を見限ったりはしない」
 大寺に見限られたら、確かに私の居場所はない。でも今は、そんなことを聞いてるわけじゃない。
「そりゃまあ、大寺店長様からすれば、今や私は金の生る木も同然でしょうしね。私をステージに立たせてくれる限り、今後もあんたに逆らうつもりもないわ。でもね」
 一旦言葉を切ると、私は目の前のサングラス男をめいっぱい睨みつけてから、再び口を開いた。
「お願いだからあんたのことくらい、信じさせてよ」
§
 倉庫内で私が謎の男に警告を受けてから、数日が経った。
 事件の翌日、ゆうやけの施設に出向き、端末は見つからなかったとアサに伝えたけれど、彼女は『残念だけど、仕方ないね』とだけ言って、特にそれを気にしている様子はなかった。
 警察からも、男に関する続報は今日まで一度もない。
 そういう類の調べ物が得意そうなピクにも、MF404について検索してもらったけれど、『ネットでの該当記事、ナシ!』と言われてしまったので、真相は闇の中だ。
 右手首は若干痛むけれど、骨も折れていなかったし、仕事に大きな支障もなかったのは不幸中の幸いだった。
 ……厄介ごとは嫌いだ。このまま何事もなければいいのだけれど。
 営業を終え、シャッターを下ろしながらも、やっぱりそのことばかり考えてしまう。
 今日一日、仕事にもあまり集中できなかったように思う。
「……このままじゃ、駄目だ」
 自身の頬を両手で叩き、目を見開く。
 私は自分を納得させるため、店じまいを済ませた後、六十五階のゆうやけにいる、彼女のもとに向かうことにした。
「あれ、どうしたのコウ?」
 午後七時。ゆうやけの施設にお邪魔すると、アサは夕飯後の洗い物の真っ最中だった。
「洗い物、手伝うよ。それから、例のお世話になってる男の人ってのは、今日は来てるの? この間来たときは見かけなかったし、気になっちゃって」
 ボランティアの男性がMF404を欲しがっているのは、どう考えたって怪しい。
 けれど私は、それすらも偶然であって欲しかった。
 自分が厄介ごとに巻き込まれたくない以上に、いつも誰かのために一生懸命なアサを、厄介ごとに巻き込みたくないからだ。
「コウ、羽矢《はや》さんに変なこと聞かないでよ? ほんとに何でもないんだから」
「はいはい、わかってるって。ということは……。」
 私はキッチンに立って彼女が洗い上げる食器を拭きながら、和室の奥にいる男を見た。
 ガタイのいい体をした男は、子供たちに抱きつかれたり、腕にぶらさがられたりしている。
「そう、彼が羽矢ヒデヒトさん。支援者の人で、最近ボランティア活動に直接参加してくれるようになって。彼、結構物知りだしああやって遊んでくれるから、子供達から大人気。私も、こうして洗い物の最中子供たちに邪魔されないから、彼が来てくれる日は家事が素早く終わったりするんだよね」
「なるほどね。たしかにいい人そうだし、アサが惚れちゃうのも仕方ないと」
「こら、違うからね。……あっ」
 アサが小さく声を上げる。彼女の目線の先は、窓の外だ。
「ん、どうかしたの?」
「今、窓の外に誰かいたような……。考えすぎなのかもしれないけど、最近頻繁に見るんだよね。黒い服を着てるように見えるんだけど、顔はよく見えなくて。急いでるのか、外に出て確認してもどこにもいないし……倉庫の人なのかな?」
 黒い服、顔はよく見えない。私はその話を耳にしてすぐ、反射的に和室の奥の男を見た。
 その瞬間、羽矢さんと目が合ってしまったので、適当に笑ってごまかす。
 ……羽矢さんはずっとこの部屋にいた。もしアサの見かけた影が、私が倉庫内で遭遇した男なのだとしたら、それは彼ではないということだ。
「アサ、大丈夫? それ、不審者なんじゃ」
「そうなのかなぁ。やっぱり、警備の人に届け出た方がいい?」
「何かあってからでは遅いからね。CLUB98の薬物の話とかもあるし、ちょっと心配かも」
「確かに。子供たちに何かあってからでは、遅いしね。考えすぎだと思って誰にも話してなかったから、ちょっとすっきりしたかも。ありがとう、コウ。今日の帰りにでも警備の人に伝えに行ってくるよ」
 何でもないのだと、自分を納得させに来たはずなのに、結局不安な要素が増えてしまった。
 けれど、彼女の安堵する表情を見て、私はなんとなく気が楽になったようだ。
 ゆうやけから出て中央の吹き抜けエリアに向かう。不安要素は残るけれど、今日のところはこれについて考えるのはおしまいにしよう。
 ……そう思っていたのに。
「お嬢ちゃん。ちょっとだけ時間をもらえないか?」
 ホバーバイクのハンドルに手をかけた瞬間、男の声に呼び止められる。
 振り向くとそこには、トレンチコートを羽織った羽矢さんが立っていた。
「どうかしました?」
「いや、どうして目が合ったのかなと思ってさ。君、マキモト商店の人だろ。アサちゃんからよく話は聞いてるよ」
「偶然じゃないですか?」
 羽矢さんが一歩ずつこちらに近づいてくる。射抜くような眼光に、私は体を強張らせてしまう。
「俺は君がそこのオナガ倉庫で、警察を呼ぶレベルの何かに巻き込まれたことを知ってる。君の右手の負傷のこともね」
「羽矢さんあなた、ただのボランティアの人ってわけじゃ、なさそうですね」
彼は私の目の前で足を止め、大げさに肩をすくめた。
「いやー、俺もそろそろ、タイムリミットが近いんだ。率直に聞くことにしよう。君はMF404について、どこまで知ってるんだい?」
「羽矢さん、それを欲しがってるんですよね。私には、ただのマイナーな骨董スマートフォンにしか見えませんし、ネットであらかた検索しましたけど、何も不思議なことはなかったですよ」
「だろうね。素人が見つけられる範囲内に、その端末の情報は掲載されていない」
「……。」
 やっぱり。羽矢さんは少なくとも、一般人ではない。
「警戒しているね? そりゃそうだ。友人の近くに急に怪しい男が出てきたうえ、その男の欲しがる商品を探しに行ったら、危険な目にまで遭ったんだから。君の反応は、実に正常だと言える」
「……何が目的なんですか? アサに何かしたら、許しませんよ」
 私が羽矢さんをぐっと睨むと、彼はなぜかにっこりと笑った。
「アサちゃんは、勇敢ないい友人を持ってるみたいだ」
 羽矢さんは、周りに誰もいないことを確認すると、私の耳元に口を寄せ、小声で囁いた。
「俺は、世界を救うエージェントなのさ」
「…………は?」
§
大真面目な顔をして、『自分は世界を救うエージェント』だと言い放つ羽矢さん。
 ……まずい。もしかして彼は、頭の中の中学二年生の主張が激しいタイプのおじさんなのでは?
「またこの反応だ。あーあ、俺ってやっぱり世界を救いそうにない顔つきなのかねぇ……ん?」
 ガタン、と物陰から音がした。私と羽矢さんが音のする方向に顔を向けると、一瞬だけ細い通路の先に、フードを被った人物が見えた。
「あの恰好……!」
「コーちゃん、君が倉庫内で見たのは奴だな?」
「そうですけど、なんですかコーちゃんって。滅茶苦茶馴れ馴れし……ちょ、うわ!」
「行くぞ!」
 羽矢さんは私の腕を引いて、物音のした方向へと走っていく。
「……もう!」
 こうなったらやけくそだ。私は彼と共に、フードの男を走って追いかける。
 相手も追いかけられていることに気が付いたのか、こちらを何度か振り向いて確認しながら、倉庫街の中を駆け抜けていく。
「よし、コーちゃん、俺はこっちの道に走るが、そのまま奴を追いかけてくれ! 三十秒以内に合流する!」
「だから、コーちゃんってなんですか、もう」
 挟み撃ちにでもするのだろうか。仕方なく、私は彼に従ってそのまま全速力でフードの男を追いかける。
 数十秒後、羽矢さんが再び脇の道から姿を現す。どうやら、挟み撃ちにしたかったわけではないらしい。何をしていたのか聞きたかったが、もう体力の限界が近く、まともに声が出せない。
再び二人で走って追いかけるが、フードの男に、なかなか追いつくことができない。
「コーちゃん、奴が次の曲がり角で左に曲がったら、一旦ストップだ」
 フードの男が左に曲がる。その先には、ほとんど使われることのない、外壁に面した非常用階段があるはずだ。
 羽矢さんは徐々に減速し、足を止める。私は普段の運動不足が祟ってか、立ち止まると息を整えるまで、顔を上げることすらできなかった。
「お、追いかけなくて……いいん、ですか?」
「ああ。捕まえたいというより、奴の拠点を突き止めたいんだ」
「この先の非常階段に続く扉、従業員にしか開けられないはずですよ」
「おっと、それは初耳だ。要するに奴は従業員の権限を偽装しているか……あるいは、そもそも従業員である可能性が高いわけだな。実は数日前にも、今みたいに追いかけたんだが、その時はあの非常階段を上ってる最中に、上から催涙スプレーを掛けられてね。追跡を中断せざるを得なかったんだ」
「そんなものを持ってるなんて、危ない人じゃないですか」
「いや、君だって、それなりの力で腕を掴まれたんだろう? 奴は間違いなく危険な男だよ」
 羽矢さんは、見てもいないのに私の右手の負傷について知っているようだ。
羽矢さんの方こそ、危険な男なのではないだろうか。
「何で羽矢さんは、オナガ倉庫の中で起こったことを知ってるんですか? 私、警察とタロちゃんにしか話してないはずなのに」
「桜郷警察のデータベースを調べるなんてのは、俺にとっては朝飯前なのさ。……だけどコーちゃん、君は警察に話さなかったことが、あるんじゃないのかい?」
「……どうして、そう思うんです?」
「君がアサちゃんに、倉庫であったことを一切話していないからだよ。最初は、アサちゃんを心配させたくないから言ってないのかと思ってたが、今日ゆうやけに来た時、君はアサちゃんを見て思いつめた表情をしていたから、こりゃ奴に何か言われたなと感づいたわけ」
「……羽矢さん、鋭いですね」
「だろ? それで、何て言われたんだい?」
羽矢ヒデヒトは、警察のデータベースに無断でアクセスできるような人間だ。多分、簡単に信用していいような人じゃない。
「羽矢さんが、あのフードの人を捕まえようとしてるってことは分かりました。でも、まだ私は、貴方がアサに危害を加えない人だっていう、確信が持てません」
「だよね。仕方ない、改めて、ちゃんと名乗ることにするよ。実は、君のことはあらかた調べていてね。君が何か危険なことをしてる人間ではないことは、データベース上では確認済みだ。こうして会話をして、アサちゃんの良き友人であることも確認できたしね。君になら、話してもいいだろう」
羽矢さんは咳払いし、自身の耳元に手を触れて、ホログラムモニターで鷲のマークのロゴのようなものを表示させた。髪に隠れていて気が付かなかったが、よく見ると、彼は左耳に鷲の形をしたイヤリングをしている。どうやらそれが、XRの端末のようだ。
「俺は、エニグマっていう、国家絡みの悪事を暴くいわば……レジスタンスのメンバーだ。まあ、下っ端なんだけどね」
「エニグマ……。」
 ホログラムで浮かぶロゴマークの下部には『ENIGMA』の文字が。このマークは、彼の属するそのグループの象徴なのだろう。
「俺らは警察や桜郷軍が取り締まろうとしない事件について解決するための組織でね。俺が今調査してるのは、モルタワの社長が躍起になって調査している、違法薬物についてだ。MF404は、特殊な規格の機種でね。とある研究機関が、薬物の取引に利用している端末なんだ」
「端末を探すために、アサのとこに忍び込んだってことですか?」
「ああ。あの手の施設の子供たちは、結構大人が怪しいことをしてるのに敏感だったりするからな。余所者の俺が怪しまれないためにも、ボランティア活動は良い隠れ蓑だった。アサちゃんに電子機器の骨董品を扱ってる友人がいると聞いて、もしかすると……と思ったところから、申し訳ないが、君を調べさせてもらったよ」
「私の経歴なんて、大したことないですけどね」
自分の過去の話になると、ちらつく電球のイメージが、思い出すなと記憶の引き出しに手を触れることを阻害してくる。
 親を亡くした子供なんて、今の時代珍しくもなんともない。
父は母と離婚し、仕事がうまく立ち行かなくなって、私が十歳の頃に自殺した。その後、モルタワに拾われて、今に至る。単にそれだけのことだ。
揺れる電球、ぶらさがる両脚、目を見開いた少年の顔――。
ふと我に返る。過去を思い出すまいと、私はいつの間にか唇を噛んでいたらしい。羽矢さんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「何か思い出させてしまったようだな、すまない。君のような立場の人間を、俺はこれまで数多く見てきたが、そういう人間をこれ以上生み出さないためにも、俺たちは活動しているんだ」
羽矢さんの真剣な眼差しは、嘘を言っているようには見えない。
……彼を、完全に信用したわけじゃない。
けれど、彼に協力すれば、ここ数日、私の頭の中に立ち込めている霧が晴れてくれるような気がして、私は倉庫内で言われた言葉を、羽矢さんに話すことにした。
「『その端末を、彼女に渡してはいけない』……フードの男は、そう言ったんです」
「彼女……アサちゃんのことか。彼女を警戒しているのか、あるいは、奴が俺の正体に勘付いているのかもしれないな」
「アサが薬物だとか、そんなものに手を出すような子だとは思えないし、思いたくないです」
「ああ、俺も毎日彼女の姿を見ていて、同じように感じていたよ。彼女のことも、データベースで調べたよ。両親を事故で亡くしてるんだってな。だがな、丘野アサのデータは……妙なんだよ。まるで誰かが、綺麗に辻褄を合わせたかのような……おっと」
 羽矢さんがそこまで言ったところで、彼の目元あたりに、小さなホログラムモニターがポップアップした。
「実は、奴が逃げるときに使った非常階段のドアハンドルには、俺が先回りして特殊な塗料を塗っていてね。塗料の付いた手で他のドアハンドルに触れると、そのドアがどこにあるものなのかが、俺のXRに通知されるようになっているのさ。モルタワの扉のほとんどは電子制御だから、こういう手が使える」
「だからさっき追いかけてた時、一瞬いなくなったんですね」
「ああ。あそこを使って逃げるしかないことは、わかっていたからね。……ふむ、どうやら彼は九十八階の非常階段のドアに触れたようだ。となると、恐らくあそこだな」
九十八階といえば、CLUB98のある最上階だ。フードの男は、ナイトクラブの関係者ということだろうか。
私と羽矢さんは、ホバーバイクを使って(ホバーバイクは従業員しか使えないはずなのだが、何故か羽矢さんも乗ることができた)、直接該当階に向かうと警戒されるかもしれないからということで、一旦九十六階に向かう。
 九十六階にたどり着くと、再び羽矢さんのXRに反応があった。
「よし、奴はCLUB98のスタッフルームの扉を触ったようだ。関係者ってことで、ほぼ間違いないだろう」
「その人が、薬物に関わってるってことですか?」
「少なくとも無関係では、ないだろうな。よし、慎重に九十八階に向かうぞ」
羽矢さんとエスカレーターに乗って、九十八階に到着する。
この階は、ちょっとした倉庫以外は全てCLUB98の店舗になっているため、基本的に日中は人気がない場所だ。。
けれど今日は、まだ営業開始まで時間があるにも関わらず、既にCLUB98の重厚な防音扉の前には、見るからに力の強そうなガードマンが勢揃いしていた。
その上どのガードマンも、なぜか一斉にこちらを向いて、ここから立ち去れと言わんばかりの威圧感を放っていた。
「あー、実は記者のふりをしてここに来た時に、ガードマン共に顔を覚えられてしまったんだ」
「ええ……。」
……実はこのおじさん、自分のことを下っ端だとも言っていたし、結構ポンコツなのではないだろうか。
 そんな不安が脳裏を過ったけれど、もう今更引き返すこともできない。
 ただ、ガードマンの目線が痛いので、正面玄関からは離れることにした。
「さあて、どうやって入ろうかね」
「え、考えてなかったんですか?」
 てっきり、なにか案があるものかと思っていたのに。
「……二人とも、どうしてここにいるの?」
背後から聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。
私と羽矢さんが同時に声の方向に振り向くと、そこにはアサの姿があった。
§
「もしかして、逢引き……だった?」
「いや、誤解だから!」
アサの勘違いを即座に否定するも、彼女は納得していないようだ。
「じゃ、どうしてここに? CLUB98に用事があるにしても、まだちょっと早い時間帯だし……。」
「私達はその、色々あって一緒に行動する羽目になって。アサこそ、こんな所で何してるの?」
「えっ、私はゆうやけを閉めて、家に戻る所だけど……あ、そっか。そういえば、コウには話してなかったんだっけ。私の借りてる部屋、この階にあるんだ」
 アサとは、基本的にうちの店かゆうやけでしか交流することがない。
いつだったか、彼女の部屋にお邪魔しようとした時、自分の借りてる部屋はとても狭いから、人を呼べるような部屋じゃないと言われたような気がする。
「九十八階に、住めるような場所ってあったっけ……?」
「えっと、CLUB98の場所って前はレストランだったんだけど、ナイトクラブに改装するための工事をしてた時、業者さんが休憩用にコンテナ型の仮設住宅を設置したみたいで。そこを、うちの大家さんが買い取って、今は私が借りてるんだ。ほら、あそこ」
アサが指差したのは、CLUB98の裏口に程近い場所に設置された、白いコンテナ。アサはそこに住んでいるらしい。
「コーちゃん、あの裏口に、さっき反応のあったスタッフルームのドアがある」
羽矢さんが私に耳打ちする。
その様子を見たアサは、何を勘違いしたのか、にやつきながらこちらを見つめてきた。
「やっぱりなんだか、ワケあり、だよね。狭いけどうち、上がってく?」
「ああ。色々あってね。少し、お邪魔させてもらえると有難いんだが」
アサの部屋は、外からの見た目通り、大人三人が座るのがやっとなほどの広さしかなかった。
キッチンやトイレはあるが、バスルームは存在しないようだ。
 人を呼ぶことがないから、ティーカップが一人分しか無いんだと言いながらも、紙コップに二人分のお茶を入れてくれたアサ。
 走り回って喉が渇いていたこともあり、私も羽矢さんも、それを一気に飲み干してしまった。
「よし、ここなら窓からスタッフルームのドアも見える。様子を伺うには、丁度いい立地だな」
「羽矢さん、流石にアサに事情を話した方が……。」
「そうだな。コーちゃん、倉庫での話をしても大丈夫だな?」
 羽矢さんがここから裏口の様子を伺いたいのであれば、アサの協力が必要不可欠だ。
私が軽く頷くと、羽矢さんはアサに事情を語り始めた。
「つまり、羽矢さんは正義の味方ってことですね!」
 羽矢さんはどうやら、毎回素性を説明をする際に、『世界を救うエージェント』であることを強調しているらしい。
 私は思わず呆れてしまったけれど、どうやらアサはそうではないらしい。
 彼女は目を輝かせながら、羽矢さんの話を真剣に聞いていた。
「そうそう、俺はアサちゃんみたいな反応を期待してたんだよ」
説明を終えた羽矢さんは満足そうだ。
「でも、どうしてその人は、私にその端末を渡すな、だなんて言ったんだろう」
やっぱりアサには、心当たりが無いらしい。
「俺の調べた範囲内では、ゆうやけに対して攻撃的な団体も、今のところ居ないようだ。失礼ながらアサちゃん、君を疑ったりもした。でも今のところは、ゆうやけに潜入していた俺の存在に、奴が勘付いたからだと考えているよ」
そうは言いながらも、羽矢さんはまだ納得していないように見える。
羽矢さんは一体、アサの何を疑っているのだろうか。
「アサちゃん、今夜のCLUB98の公演が何なのか分かるかい?」
「あ、分かりますよ。何故なら今夜は、ルノカのワンマンライブですから。……チケット、倍率高すぎて取れなかったんですけどね」
「ルノカ……前に演奏中、ここの社長と言い合いになってたDJか。今夜は、観客が多そうだな」
羽矢さんは腕時計をちらと見た。
私もつられて部屋の掛時計を見ると、いつの間にか、九時になろうかという時間帯になっていた。
「最近はガードマンの人も増えてますし、忍び込むのは難しいと思いますよ」
「アサちゃんも、これだけ近くに住んでいても、さすがに抜け道みたいなものまでは知らないか」
「そんなの知ってたら、私、毎晩ルノカのライブを観に行っちゃいますよ」
「それもそうか。……よし、じゃあ必殺技を使うとしよう」
「必殺技……?」
  羽矢さんはXRのホログラムモニターを表示すると、何かのソフトを立ち上げた。
「メリッサ、俺だ。ハズクシティのモールタワー、CLUB98の今夜のチケットを三枚偽造してくれ」
「かしこまりました、五分以内にお送りします。それにしても、若い女性二人とデートですか? うらやましい限りです」
 羽矢さんがモニターに話しかけると、丁寧ながらも棘のある喋り方をする合成音声が聞こえてきた。
 恐らく、メリッサというのはAIだ。それも、結構危ない部類の。
「よし、これでなんとかなるだろ。俺みたいな下っ端がこういうことすると、給料から偽造経費とか引かれるから、あんまり頻繁には出来ないけどね」
「それ、本当に大丈夫ですか? 私、入り口で捕まるのは嫌ですからね」
 私の心配に、彼は大丈夫だと笑って見せた。
「裏口から入ったのがバレて捕まるよりは、マシな気がしないか? ……というより、二人とも、まだ俺に付き合ってくれる気はあるのかい」
 羽矢さんが私たち二人に同意を求めてきた。
 確かに、彼の危険な行為にこれ以上付き合う義理はない。
 ……でもそんなのもう、今更の話だ。
「チケットを三枚分偽装しておきながら、今更同意を求めるんですか? まあその、乗り掛かった船という奴です。世界を救うエージェント殿?」
 私が羽矢さんに宣言すると、彼も私を巻き込んだことを、少しは気にしていたらしい。どことなく安心したような表情を浮かべていた。
 続いて私と羽矢さんがアサの方を見ると。
「ルノカのワンマンライブ……ルノカのワンマンライブ……。」
 行けないと思っていたライブに、思ってもみなかった形で入場できるという事実に、どうやらアサは我を忘れているらしい。
「……多分アサ、嫌でも付いてきますよ」
「どうやら、そのようだな……。」
§
「いいか、既に死者が二名だ。これがモールタワーにどういう影響を与えるかくらい、考えずとも分かるだろう」
「社長さん、深夜までお仕事ご苦労様。でもおたくはどうしてうちがクラブぐるみでキメてるみたいな言い方するんだ?」
「断言はしていない。だが、これ以上被害を広げるわけにはいかない。あまり非協力的だと、こちらとしても強硬手段を使わざるを得なくなるぞ」
 今日のパフォーマンスを終え、スタッフルームで待機していた私は、裏口から声がすることに気が付いた。
 物陰からこっそりと覗くと、そこにはモルタワの社長、波形ヒロキと、CLUB98の店長で、私の雇い主である大寺が、険しい顔つきで立ち話をしていることが分かった。
 最近の大寺は、日中顔を隠して何らかの目的で動き回っている。
 そして、いくら問いただしても、それを私に話す気は一切無いらしい。
 彼に対して近頃不信感を持っていたせいか、柄にもなく私は彼らの会話を盗み聞きすることにした。
「強硬手段、ね。それはひょっとして、桜郷軍絡みかい? 一部で噂になってるんだぜ、今後モルタワの経営に軍が介入し始めるんじゃないかってな」
 大寺はいつだって、警察や軍などの組織に対して敏感だ。
 最初はナイトクラブという場所が、反社会組織と結び付けられることが多いからかと思っていたけれど、内部事情に対して妙に精通している気がする。
 どうせ指摘したところで、ただのマニアだからだと茶化されてしまうだけだろうけど。
「そんなものは、ただの噂話にすぎん。だが、この店の振る舞いが、今後これ以上モールタワーとして相応しくないと私が判断したとしたら……君達次第だが、軍を頼らざるを得ない可能性はあるとだけ、言っておこう」
「へいへい、そうなったら大人しく出ていくさ。だが、波形の坊ちゃん、桜郷軍の甘言には気を付けたほうがいいぜ?」
「大寺、君も麻薬の売人の甘言に乗らないように気を引き締めたまえ。……奥で立ち聞きしてるお嬢さん、君も例外ではない」
 波形社長は、どうやら私に気が付いていたらしい。一瞬だけこちらを一瞥してから、「失礼する」と言い残し、CLUB98から立ち去った。
 シンとした空気がいたたまれなくなり、私はわざとらしく咳払いしてから大寺に話しかける。
「スタッフルームに丸聞こえだった」
「あー、そうか。やれやれ、相変わらず、厄介な社長様だよ。ルノカ、君も社長に目をつけられている身だ。あんまり奴を挑発するなよ?」
「言われなくても分かってる。前は歌ってる最中に入ってきたから、腹が立っただけ。私だって、自分で自分の首を絞めたいとは思ってないわ」
 大寺と会話をしながら、私は裏口に設置してある自販機に関係者の証であるブレスレットをかざし、微糖とブラックの缶コーヒーをそれぞれ一本ずつ購入する。
 微糖の方の缶を大寺に投げると、彼は難なく右手でキャッチし、私の予想通りの反応を見せてくれた。
「うわ、冷たッ! ルノカてめぇ、何でこの時期に『つめた~い』を押すんだよ! 『あたたか~い』を買え、『あたたか~い』を!」
「……頭冷やせって言ってんのよ。あんたの嫌いなブラックコーヒーじゃないだけ有難いと思いなさい」
「全く、いつまで経っても悪戯っ子だなお前は。まあ、確かにこの騒動のせいで、俺の頭ん中は、煮えたぎってるのかも知れねぇけどな」
 額に冷えた缶コーヒーを当てながら、サングラス越しでも分かるくらい、滅多に見せない弱弱しい表情を見せる大寺。
 そんな彼の姿に、私はなんだか苛立ってきて、少し声を張り上げる。
「あんたが日中コソコソしてるのを認めたわけじゃないし、なんなら邪魔してやりたいくらいだけど、顔つきくらいしゃっとしなさいよ。ここのリーダーなんだから、さ」
 歌う以外の用途で大声を出すのは嫌いだ。私の言葉に目を丸くしている大寺を見ながら、カシュ、と音を立てながら手元の缶コーヒーを開封した。外気温が低いせいか、飲み口から湯気が立っている。
「ずりぃなぁ」
「何がよ」
「……お前だけ『あたたか~い』方なのが、だよ」
§
 今夜のライブは、いつもより開場時間も開演時間も遅めの設定になっているらしい。
 開場は午前零時、開演は午前零時半だ。
 開場時間が近づくまで、私たちはアサの部屋で待機。
 羽矢さんはスタッフルームの扉を監視していたが、結局誰も出てくる気配はなかったようだ。
 正面玄関前に待機列が形成され始めた辺りで、私たち三人は人混みに紛れて列に加わった。
「それにしても、君たちがXRを所持してないとは思ってなかったよ」
 羽矢さんは私達二人がXRを所持しているものだと思い込んでいたらしい。
 私はピクがいるから必要ないと思っていて、アサは金銭的余裕がないので、旧世代のタブレット端末を使用している。
 とはいえ、CLUB98の掲げる方針の中に、モルタワのはみ出し者を歓迎するというものがある為か、電子チケットの受け取り方が複数種類存在したので、事なきを得た。
 アサは直接タブレット端末でチケットを受け取ることに。
 私は急遽マキモト商店に戻り、商品用の端末を一台調達してきた。
 店に戻った際、ピクが自分も行ク! と私の周りを飛び回って主張してきたが、確か今は、コンパニオンの同伴は原則禁止されているはず。
 前は大寺さんの助け舟があったから特例で入れてもらえたものの、今回もそうだとは限らない。
 それに、持っているのは偽造チケットだ。なるべく目立たないようにしなければいけない。
 激しく回転して不満をあらわにするピクを店に残し、私は九十八階に戻ってきたのだ。
「全く、思い込みはよくないですよ、羽矢さん」
「やー、すまん。俺も頭が固かったよ。……お、列が動くぞ。開場だ」
 零時。入場待機列が動き出す。
 私も前に進もうとするが、なぜか私の前に立っているアサが動こうとしない。
「アーサー、ルノカのライブに行けて、嬉しくて放心状態なのは分かるけど、そろそろ現実に戻ってきてー」
 私がアサの耳元で呼びかけると、彼女はようやくこの世に戻ってきたらしく、「ひゃっ!」と素っ頓狂な声を上げた。相変わらず、ルノカのことになると我を忘れてしまうらしい。
 偽造チケットであるにもかかわらず、私たち三人の本人確認は恐ろしいほどスピーディーに行われ、何の問題もなく入場することができた。
 着替える暇が無かったせいで、エプロンを付けた仕事着のままなのが恥ずかしかったけれど、アサに聞いてみると、割とどんな服装でも大丈夫らしいので、少し安心した。
 ……羽矢さんだけは、ガードマンに睨まれながらの入場になったみたいだけど。
「よし、三人一緒に行動するぞ。恐らく奴はここのスタッフだが、観客に紛れている可能性もある。身長や体格から、俺のカンで絞り込んでいけたらいいんだが……。」
「ええ、なんでそこだけ野生のカンみたいな感じでアナログなんですか?」
「これまで奴に取り付けた発信機類は、ことごとく破壊されたからな。うまくいったのは、さっきの塗料が初めてだ」
 ……この人、やっぱり今日までその場しのぎで生きてきたのではないだろうか。
 今日はルノカのワンマンライブということもあり、前に来たときよりも、クラブ内は人でいっぱいだ。こんな人混みの中から、本当に目的の男を発見できるのだろうか。
 目的の人物を探し始めてから数分。
 アサが何か見つけたらしく、私の服を引っ張った。
「……その男の人って、ああいう感じの人じゃなかった?」
 アサが指さした先には、きょろきょろと何かを探している様子の男性が一人。
 CLUB98の店長、大寺ミツヨシだ。
 大寺さんはこちらを見て、一瞬動きを止めた。
「アサちゃん、ナイスだ。確かに動き方に見覚えがある。奴である可能性が高いぞ」
 羽矢さんは小声でそう言うと、ゆっくりと彼に近づいていく。
 大寺さんは、関係者以外立ち入り禁止のドアを開き、奥の部屋へと消えていった。扉は、開かれたままだ。
「奴は恐らく、俺たちを誘ってるぞ。二人とも、絶対俺より前に出ないように」
 私たちが頷くのを確認すると、羽矢さんは早歩きで扉に突入した。
 後に続いて侵入した立ち入り禁止の扉の先は、長い渡り廊下が続いていて、その奥に、大寺さんが立っていた。
 羽矢さんの言うとおり、よく見ると彼の背丈や体格は、オナガ倉庫で遭遇し、六十五階で追いかけた男に近いものがある。
 数秒間、羽矢さんと大寺さんは睨み合っていたが、大寺さんは逃げることなく、こちらに駆け寄ってきた。
「おい、君たち、うちのDJを……ルノカを、見なかったか?」
 大寺さんは羽矢さんの前までやってくると、彼の両肩を掴んだ。
 ルノカといえば、今夜のワンマンライブの主役だ。彼は彼女を探しているらしい。
「さてねぇ。最近、ここで違法薬物が流行ってるらしいじゃないか。それに巻き込まれたんじゃないのか?」
 羽矢さんはあくまでも冷静だ。
「な、にか、知ってるんじゃ、ないか?」
大寺さんの印象が、以前あった時と明らかに違う。サングラスを掛けているせいで表情は窺《うかが》い知れないが、不測の事態が起きたのか、混乱しているように見える。
「CLUB98店長、大寺ミツヨシさん。あんたこそ、何か知ってるんじゃないのか?」
 羽矢さんが強い口調で大寺さんに問いかける。
 大寺さんは私とアサを交互に見ると、
「ああ、もうどうすりゃいいんだ!」
 そう叫びながら、頭を振る。その拍子に掛けていたサングラスがズレたことに更に苛立ったのか、大寺さんはサングラスを外すと、それを床に叩きつけた。
「……こりゃ、驚いた」
 羽矢さんはサングラスを外した大寺さんを見て、何か思い出したかのように目を見開いた。
「どうした? 犯罪者のツラにでも似てたか?」
 自身のトレードマークを床叩きつけたことで多少落ち着いたのか、大寺さんはサングラスをゆっくりと拾いながら、自嘲的に笑った。
「厳密には犯罪者ではないが、この国が秘匿している事件の関係者にそっくりだ」
 羽矢さんは、XRのホログラムモニターで資料らしきものを広げ、指でスクロールした。
 モニターに、白衣を着て何かの実験をしている、若い男の写真が映し出される。
「水郷《すいごう》科学の『新納レン』。人工多重人格者の人体実験に関与していたな?」
「そうか、お前、エニグマか……ああくそ、よりによってこんな時に」
 羽矢さんから突きつけられた写真を見て、大寺さんは頭をかき乱す。
 そして、なぜか私とアサの方に目を向ける。
 ……正確には、彼の目線の先にはアサがいた。
「アサ……?」
 私がアサを見ると、彼女は俯いて手を強く握っていた。
「……なさい」
 絞り出すような声で、アサが唸る。
「アサ……?」
「どういうことか説明しなさい、大寺!」
 『彼女』の叫び声が、廊下をこだまする。
 私の隣にいるのは、たしかにアサのはずだった。
 けれどその叫び声は、その声色は。
 CLUB98の天才DJ、ルノカのものにそっくりだった。
§
「それで、えっと、出来れば、私にも分かるように説明してくれると有難いんだけど」
 廊下ではまずいということで、私と羽矢さん、大寺さんと……アサの四人は、スタッフルームに移動して話をすることになった。
 大寺さんも、アサの叫び声以降冷静になったようで、さっきまでスタッフに今日の公演内容の変更についてのやり取りをしていた。
 ……さっきから、全員思いつめたような表情をして室内の空気が凍り付いている。
 そんな中、私だけが、全然話についていけていなかった。
「コーちゃんに説明するがてら、話を整理しようか。まず、改めて名乗るが、俺は羽矢ヒデヒト。エニグマって組織で、世界を救うエージェントをやってる者だ。そして、大寺ミツヨシ。君はオナガ倉庫で蒔本コウからMF404を奪い、丘野アサの周辺に頻繁に現れたフードの男と同一人物で、元水郷科学の新納レンだ。違うか?」
「……ああ。概ねそれで間違いない。新納レンは、俺の本名だよ」
「そして、アサちゃん。……今ここにいる君は、本当に丘野アサなのかい?」
「……そうね。取り繕うつもりはないから、話すわ」
 アサは……アサのような人は、大きなため息をつくと、頭を振って髪を掻き揚げた。
「今あんたたちの目の前にいるのは、CLUB98の専属DJで、丘野アサじゃない。便宜上、ルノカって名乗ってるわ」
 さっきの叫びで、なんとなくそうなんじゃないかとは思っていた。
 確かに見た目はアサそのものなのに、演技でもなんでもなく、そこにいるのは別の人物なのだと認識せざるを得ない。
 それくらい、目の前の彼女は、アサとは似ても似つかぬオーラを放っていた。
「……やっぱりそうか。水郷科学の新納レンが関わっていたのは、人工多重人格者実験だった。これとアサちゃん、そしてルノカが無関係だとは、俺には思えない」
 羽矢さんが大寺さんに放つ眼光は、数時間前に私が羽矢さんから向けられたものよりも厳しく、もし正直に話さなければ、どうなるか分かっているだろうなと、脅しているようにさえ見える。
 羽矢さんの眼力に圧倒されているのか、大寺さんは観念した様子で口を開いた。
「信じてもらえるかは分からないが、十年前、CLUB98に忍び込んだ彼女を偶然捕まえたのがきっかけだったんだ。当時の彼女はまだ未成年だったから、そのまま警備員に引き渡してやろうと思ったんだが、『私を補導したところで、朝になったら私は私じゃないから意味がない』と言われたのが妙に引っかかってね」
「なるほど、それで自身が昔関わっていた実験の関係者じゃないかと思ったわけだ」
 羽矢さんは納得しているようだけれど、私にはまだよく分からない。
「さっき言ってた、人工多重人格者実験って、具体的に一体どういう……?」
「あんたの友人であるアサは、水郷科学によって行われた、既存の人物に全く新規の人格を、人工的に植え付ける実験のモルモットだったってわけ。……それに大寺が関わってたなんて、寝耳に水だったけど」
 アサ、いや、ルノカがそう言って大寺さんに鋭い視線を向けると、彼は苦渋の表情を見せた。
「エニグマご自慢のデータベースで確認してもらったら分かることだとは思うが、俺は彼女の実験に直接関わっているわけじゃない。だが、被験者が十歳の少女で、それが危険な実験だと知りながらも、俺はそれを止めようとはしなかったんだ」
「だが、資料では『実験は失敗し、被験者は行方不明』と記載されている。この実験失敗の直後、水郷科学の研究所は謎の爆発事故で施設が半壊し、この研究はそこで打ち止めになったはず。……実験は本当に、失敗に終わっていたのか?」
 羽矢さんの疑問に、今度はルノカが口を開いた。
「奴らの実験によってアサの中で自我を持って誕生した私は、覚醒した瞬間に彼女の記憶から知識を得たわ。アサは水郷科学への不信感が強かったから、私はわざと『実験が失敗したように演技した』。だから、水郷科学の連中は、あの実験が全くうまくいかなかったと思い込んでるってわけ」
「やはり、実験は成功していたんだな。もしかして君は、今もアサの記憶を認識することができるのかい?」
「ええ。ただ、一から十まで認識できるわけじゃない。あんたたちも、過去に起こったことを頭で思い浮かべたとき、印象的だった事は鮮明に思い出せるけど、三日前に食べた夕飯が何だったのかは、すぐに思い出せなかったりするでしょ。それと同じで、私が認識できるアサの記憶は、彼女が鮮明に記憶しているものだけ。……ここ数時間のアサの記憶は、あんたたちのせいで物凄くはっきり認識できるわ」
「確かに、普段体験しないようなことばかりだったもんね。アサはいつも早寝早起きだから、あんまり遅くまで一緒にいたことないし……まさか」
 そう、私がアサと深夜に行動を共したのは、今日が初めてだった。
 対してDJルノカが活動するのは、決まって深夜のみなのだと、アサから聞いている。
 もしかすると、彼女は……。
「あら、察しがいいわね。そういうこと。ルノカとしての私は、この体で深夜の零時から早朝の五時までしか活動できないの。毎日、たったの、五時間だけ」
「で、でもアサはルノカのライブに行ったことがあるとも言ってたけど」
「あの時は面倒だったわ。チケットを握りしめてCLUB98の観客フロアで覚醒したものだから、自分の出番までに準備するのが大変だったんだから。後で彼女に聞いてみたら? 多分、興奮しすぎて気絶して部屋に運び込まれたらしいって答えてくれるわよ。……それ以来、彼女にチケットが当たらないように大寺に調整させているから、今日みたいなことは、本来ならもう二度と起こらないはずだったんだけど」
 ルノカが発する言葉には、一言一言に焦りや苛立ちの感情が乗せられている。
 彼女が自身の待遇に強く不満を持っていることは、疑いようがない事実のようだ。
「アサがCLUB98の隣に部屋を借り始めた頃、ルノカはうちの店から漏れ聞こえてくる音楽に興味を持ったらしくてな。まさか好奇心で忍び込んだナイトクラブの店長が、元研究所の男だとは思わなかっただろうが」
「道理で私の境遇への理解が早かったわけだわ」
「初めて彼女とは違うものに、強く興味を惹かれたんだと、目を輝かせながら言っている少女に、自分が元研究員だとは、とてもじゃないが言い出せなかったよ。最初は、自分が関わった研究の被害者に対する、罪滅ぼしのような気持ちで、彼女をうちの店に受け入れた。だが、ルノカには、アサにはない彼女特有の音楽の才能があった。みるみるうちに才能を開花させた彼女を、俺はアサだと分からないように、ウィッグと少々濃いめのメイク。そして不敵の笑みを持たせて、ステージデビューさせたのさ」
 アサとルノカ。アサとは付き合いが長いけれど、今までほんの少しも、彼女からルノカの存在は感じられなかった。アサはルノカのファンではあるけれど、それが自分と同一の肉体であることに、アサが気が付いているとは思えない。
「……アサは、ルノカのことを全く認識できないの?」
「できるわけないじゃない。なんなら、水郷科学のことも忘れてるんじゃないかしら。彼女が研究所にいたときの記憶、いつの間にか認識できなくなってるのよね。あーあ、呑気に生きててうらやましい限り。そうそう、彼女が『ルノカ』のファンになったと知った日なんて、笑いが止まらなかったわ」
 ……ルノカは多分、アサのことを嫌っている。でも、毎日五時間しか自身の意識がない彼女に、アサを嫌うことをやめてほしいとは、とてもじゃないけど、私には言えそうになかった。
「となると、丘野アサの経歴データを弄ったのは、大寺さん辺りになるのかね。彼女のデータ、何の問題もなかったんだが、俺の勘が怪しいと言ってたんだ」
 羽矢さんはホログラムでアサの経歴データを空中に表示させ、それを指で何度かつついた。
「ああ。これはルノカ、君も初耳だろうが、元々アサの両親は研究所の関係者だ。彼らも人工多重人格者実験の研究に関わっていた。だが、実験の被験体を選出する際、不幸にも自分達の娘がそれに適合することを知ってしまったんだ。彼らはそれを隠していたが、結局、実験班のリーダーに見つかってしまった。そして、二人は『偶然』の事故で亡くなったのさ。ルノカに確認すると、アサの両親に関する情報は、『小さいころに事故で亡くなった』という事実としての認識しかないようだし、アサは自身の名字すら知らないようだった。彼女が研究所から逃げて、モルタワに流れ着いたことが、いつか研究所の関係者にバレてしまうことを危惧した俺は、オウキョウのデータベース内にあるアサの記録を、『丘野』という架空の姓を付け加えた上で、ツテに頼んで改ざんさせたんだ」
「だからアサ、ここでボランティア活動を始める時、事務手続きをしたら自分の名字が分かったんだってはしゃいでたのか」
 『私の名字、丘野っていうんだって!』と、嬉しそうに言っていたアサの顔が思い浮かぶ。
 デリケートな話題なので、あまり聞いたことはなかったけれど、ルノカや大寺さんの推測通り、彼女は両親に関する記憶について、忘れてしまったか、あるいは私のように、思い出さないようにし続けているのかもしれない。
「なるほど、大体繋がったな。さて、本題だが、大寺さん。あんたが顔を隠して行動していたのは、どうしてだ?」
「もう分かってるんだろう? アサとルノカを研究所関係の事件……つまりは、今回の麻薬騒動から遠ざけるためだ。あんたがMF404を欲しがってるってことをルノカから聞いたときは、血の気が引いたよ。何せその機種は、水郷科学が開発に関わっている特殊な端末だったからな」
「それでゆうやけを監視したり、端末をコーちゃんから奪い取ったりしたんだな。これでようやく、納得できたよ。あんたの原動力はアサちゃんとルノカだった訳だ。しかし大寺さん、あんた物知りだな。エニグマのことも知ってたみたいだし」
「さっきあんたに接近したとき、耳元のイヤリングが見えたんだ。エニグマは鷲マークのXR端末を所持していると、情報屋の客から聞いたことがある」
「なるほど、ね。さて大寺さん。あんたから、MF404を預かってもいいかい? 抵抗するなら、一応こっちにも考えがある」
「俺にはもう、あんたに抵抗する意思はない。……この部屋に保管してあるから、少し待ってくれ」
 大寺さんはスタッフルーム内のデスクに移動すると、引き出しのロックを生体認証で解除し、MF404を取り出して羽矢さんに手渡した。
「確かに。これをこうして、と」
 羽矢さんはコートのポケットから小型の機械を取り出し、それを使って青いレーザーのようなものをMF404に照射する。何かの検査をしているのだろうか。
「実はこのタワー内に、MF404の反応は二つあった。だが、大寺さんが奪ったコーちゃんの仕入れたこれは、どうやら単なる骨董品のようだ。今回の件で使用されいるのは、別の端末のようだな」
 羽矢さんは端末をポケットにしまうと、大きくため息をついた。
「大寺さん、どうやらお互いに、犯人捜しは振り出しに戻ったようだな」
「ああ。ここ数日間、互いに互いを怪しんでいたからな。あんたのことを信じ切ったわけじゃないが、お前がアサとルノカを、今後事件に関わらせないと約束してくれるなら、捜査には全面的に協力しよう。うちの従業員は既に二人殺られてんだ。あまりモタモタしてると……。」
 大寺さんがそこまで言うと、スタッフルームのドアを強くノックする音が聞こえてきた。
「店長! フロアのガードマンがおかしいんだ! うなされてるみたいに、ルノカの名前を呼んでるし……なんか、動きも変なんだ!」
「わかった、すぐ行く。ルノカ、君はここから出るな!」
 大寺さんは、スタッフルームの扉を開くと、慌てふためくスタッフと共に、フロアの方へ走っていく。
 羽矢さんもそれに続いたので、私も付いていこうと扉の方へ足を動かしたが、ルノカに腕を掴まれて止められてしまった。
「あんたが行ったって、どうせ何もできることなんてないでしょ? それに、本当は行きたくないんじゃないの? 平和主義のお人好しさん」
 彼女の言葉は、棘があるけれど、私を案じているようにも聞こえる。
 行ったところで、確かに何もすることはできない。
 私は扉を閉めて、ルノカと彼らを待つことに決めた。
§
「……。」
「座れば?」
 長い沈黙の後、ルノカに座ることを勧められる。
 私はお言葉に甘えてソファに座った。
 対してルノカは、先ほど大寺さんがMF404を取り出したデスクの上に座り、足を組んだ。
 アサであれば、絶対に取らないであろう行動だ。
「あーあ、目覚めたらアサのふりをしなきゃいけなかったし、大寺にはまだ山ほど聞きたいことがあるし、あんたにも事情を知られちゃうわで、今日は散々だわ」
「私にとって、ルノカは初めまして……だけど、ルノカは私のこと、どこまで知ってるの?」
「あんたはアサにとって、数少ない友人の一人だからね。あんたとアサがした大抵の会話内容は思い出せるわ。あんたとの会話はいつだって無難で、思い出したところで何の得にもならないようなことばかり。少なくとも、蒔本コウは私にとって、役に立たない女って認識ね」
「よ、予想通り、容赦がない……。」
 さすがに、面と向かって役立たず扱いされて傷つかないわけがない。しかも、それをアサそっくり……というか、本人と全く同じ容姿で言われるのだから、ショックも大きい。
「……でも、あんた今日はどうしてあの羽矢ってうさんくさい男に協力したの? 私の認識してるあんたは、そういう事件とか厄介ごとがあると、関わらないようにするタイプだと思ってたんだけど」
「ああ、確かにそうかも」
 ルノカの言うとおり、私は厄介ごとが苦手だ。一度そういうことに関わると、普通に生きていく分には知る必要のない世界を知ってしまったり、今日みたいに巻き込まれたりするからだ。
 でも、羽矢さんがフードの男を追いかけ始めた時、私は彼に付いていくことをほとんど躊躇わなかった。
 それはきっと、
「アサが私の大事な友達だから、じゃないかな」
 アサに対して、互いに両親がいないとか、年齢が同じだとか、そういう部分で仲間意識を持ったことは一度もない。
 単純に、私はアサのことが友人として大好きだ。
 彼女がこれまでの努力でぴんと伸ばしてきた背中を、大丈夫だよと、いつだって支えて続けてあげたいのだ。
「……そう。聞くんじゃなかった。みんな努力家のアサちゃんが大好きね。別に愛されたいとは思わないけど、あいつが幸せそうなのは腹が立つのよね」
 アサの名前を聞くたびに、苛立ちを抑えきれない様子のルノカ。やっぱり、彼女は……。
「ルノカは、アサのことが嫌いなの?」
「もっとマシな働き口があるはずなのに、慈善事業で偽善者気取りして、あんな狭いコンテナで細々と暮らしてる女、好きになれるわけないじゃない」
 重く蓄積された鬱憤を吐き出すようなルノカの言葉に、私は反論することができなかった。私は彼女に、なんと声を掛ければいいのかが分からない。
「……でも、私はあんたのことが嫌いってわけじゃないから。私が大寺以外に自分の素性を話したのは、これが初めてになる。正直、アサの知人にもし自分のことが知られたとしたら、『こんなのアサじゃない』だとか、『本当は演技じゃないのか』とか、そういうことを言われてしまうんじゃないかと思ってたから。あんたはさっきから、私とアサを混同するような発言はしていない。それに関しては、感謝してあげてもいいわ」
「ルノカ……わっ!」
 ルノカはデスクから飛び降り、私の座っているソファに近づくと、急に私の胸ぐらを掴んだ。
「でもね、コウ。あの女には……アサには、私のこと、絶対喋っちゃ駄目よ。私はあの子と違って稼いでるから、口約束で不十分なら、あんたに金を積んでもいい」
「お金なんて無くても、言わないよ。アサの悲しむ顔は、見たくない。だって私は、」
 『だって私は、臆病ものだから』。そう言い切る前に、バン! と大きな音を立てて、スタッフルームの扉が開いた。
「おいおい、何喧嘩してんだ?」
 部屋に入ってきたのは羽矢さんだった。羽矢さんはなぜかスーツを着た大柄な男を右肩に抱えていて、そのままそれを部屋の角にそっと下した。
 ルノカもこれには驚いたようで、私の胸元から手を放し、運び込まれた男を見て目を丸くしている。
 男は恐らく気絶していて、胸元に、『セキュリティ』の文字と、CLUB98のロゴが書かれたプレートを付けている。
「そいつ、いつもステージ側の非常口に立ってるガードマンじゃない」
「ああ、こいつが麻薬騒動の元凶……いや、厳密にはおそらくこいつも被害者だ」
「そいつは一年前にうちで雇った、山岸って奴だ」
 羽矢さんに続いて、大寺さんが頬をさすりながら部屋に入ってきた。どうやら頬に怪我をしているらしい。
「あんたまさか、自分で雇ったガードマンに殴られたわけ?」
 そう言いながらも、ルノカは大寺さんに素早く駆け寄る。彼が心配なのだろう。
「コーちゃん、頼みがある」
 羽矢さんはそう言いながら、スマートフォンを二台差し出してきた。どちらもMF404だ。
「こっちは、コーちゃんが仕入れた方。ボディにちょっと傷の入ってる方は、この男が所持していた、例の二台目のMF404だ。事情は後で話す。爆発物の検査はもうしてあるから、そいつを今すぐ二台とも分解《バラ》してくれないか?」
 これを分解できるだけの工具は、腰のポシェットに入っていたはず。私はうなずくと、すぐに作業に取り掛かった。
§
 ガードマンの山岸は、結局警察に引き渡された。
 山岸は、私の名前を叫びながらフロアで発狂していて、取り押さえようとした大寺の頬を殴りつけ、最終的に羽矢が気絶させたらしい。
 大寺いわく、彼は私と同じく水郷科学の被験者である可能性が高いらしい。
 深夜の時間帯にのみ任務を遂行できるよう、別人格を植え付ける……つまりは、私に対して行われた実験の応用なのではないかと、大寺は疑っていた。
 羽矢の所属するエニグマという組織では、人間の長期拘束を行うことは禁止されているらしいので、山岸を今後監視はするが、クラブ内での迷惑行為や暴行を働いたことに対する措置は、警察に頼むほかないようだ。
 警察に山岸を預けたところで、また特定の時間帯に命令を執行しようとするんじゃないのかという私の疑問に対し、大寺も羽矢も『それはない』と断言した。
 水郷科学には桜郷軍が深く関わっていて、自身らの研究内容に対し、桜郷警察に知られることを強く嫌っているらしい。
 警察に山岸が拘束されたと知れば、必ず証拠を隠滅する動きを見せるそうだ。
 エニグマは、次はその瞬間を狙って水郷科学の悪事を暴くんだとか、羽矢はそういう話をしていたが、私には関係の無いことだ。
 ともかく、CLUB98の一連の事件は、DJ二人の犠牲者は出たものの、収束に向かっていくことだろう。
 ……さあ、大寺には、聞きたいことが山ほどある。
 覚悟を決めてもらわなければ。
「大寺。私が言いたいこと、当ててみせてよ?」
「……。」
 羽矢や蒔本コウはとっくにこの階から離れているし、大寺の頬の応急措置も済ませてある。
 しかし彼はその後から、俯いたまま一言も喋ってくれない。
 痺れを切らせて私が話しかけても、やはり無言のままだ。
 ソファに座り、申し訳そうな顔つきで俯いている大寺に、私は苛立ちを抑えきれなくなり、声を上げる。
「……ああ、もう! 面倒くさい!」
 目の前の男の頭に両手を添え、ワックスでセットされた整った髪型を、乱雑に乱していく。
「っ、何すんだ」
 さすがに気に障ったらしい。大寺はようやく声を出した。
「頭撫でてんのよ」
「はぁ?」
 顔を上げた大寺の両頬に手を添えると、殴られた側の頬が痛んだのか、彼は一瞬顔をしかめた。
 だが、そんなことは知ったことではない。
「辛気臭いあんたなんか、大っ嫌いよ! でも一度しか言わないからよく聞きなさい!」
 大寺ミツヨシという男は、私の存在を最初に認めてくれた人間で、私の唯一の友人とも言える存在だ。
 実験の関係者だということを隠していたことに対して、怒りの感情が無いわけではない。
 けれど、私がこのクラブで、DJとして人前で活動できるのは、間違いなく彼のお陰。
 私が活動していない時間も、彼はこれまで何年もの間、私のために走り回ってくれたのだろう。
 ……一度くらいは、褒めてやらないと。
 私は苛立ちを鎮め、可能な限り表情を緩ませると、ゆっくりと口を開いてこう言った。
「今の今まで、私を守ってくれて、ありがとね」
 ……自分で発しておきながら言うのも何だが、寒気がする。
 らしくないことを言ってしまった。
「……ルノカ……俺はお前を、ある意味、騙していたんだぞ」
 大寺の頬を、一筋の涙が伝う。
 彼の頬に手を添えていたせいで、彼の生暖かい感情の結晶が、私の親指を伝い、手首まで流れ落ちていく。
 彼は騒動中、ずっとそのことを気に病んでいたのだろう。
 勝手に一人で悩んで、ご苦労なことだ。
「……何泣いてんのよ、気持ち悪い」
「お前、おっさんは涙腺脆いんだぞ……。」
「いつもおっさん呼ばわりを嫌うくせに、今日に限っておっさん面してんじゃないわよ。ほら、立って! まだ聞きたいことが、山ほどあるんだから!」
 大寺には、いつまでも辛気臭い顔をしてもらうわけにはいかない。
彼には、これからも、天才DJルノカの、敏腕プロデューサー、そして今後も、私を理解する唯一の友人でいてもらわなければならないのだから。
§
 事の顛末は必ず伝えるからと言われ、マキモト商店に戻った私は、すぐに眠気に襲われ、ベッドに吸い込まれてしまった。
 翌朝、普段であればピクは六時に起こしてくれるのだが、ただでさえ疲れで体が重いというのに、けたたましい着信音で普段より一時間も早く起こされる羽目になった。
「コウ! チャクシン、チャクシン! ハヤってヒトから、ビデオ通話!」
「ハヤ……? ああ、羽矢さんか……ピク、つないで」
 私がそう言うと、ピクはベッド横の壁に映像を投射した。
「おはようコーちゃ……あー、ビデオ通話じゃないほうがよかったか」
「パジャマ姿で髪がハネてるのがお好みでなければ、音声通話に切り替えますけど」
「……コーちゃん、寝ぼけてないかい」
「正直に言うと、眠いです。でも、大事な話なんでしょ」
「ああ。俺はもう、このショッピングモールを離れるから、これは君との最後の会話でもある」
 羽矢さんは咳払いすると、昨晩のことについて教えてくれた。
 CLUB98のスタッフが大寺さんを呼びに来た後、羽矢さんと大寺さんがフロアに駆け付けると、そこには酔っ払いのようにふらつくガードマンの姿があったという。
 ガードマンは魘されたように「ルノカはどこだ」と叫び続けていて、その手にはMF404が。
 大寺さんが彼からMF404を取り上げようとすると、ガードマンは彼を殴り、ルノカの名を叫びながら暴れだしたので、羽矢さんが取り押さえ、気絶させたらしい。
 その後彼をスタッフルームに連れてきて、私がMF404を解体。ガードマンについて調査するのに時間がかかるということで、そこで私は帰宅している。
「MF404って、そんなに危険なものなんですか?」
「コーちゃんにはまだ話してなかったが、あの端末は取引のために使われるというよりは、あれそのものが薬物なんだ。聞いたことないかい、電子ドラッグってやつだ」
「映像自体に麻薬の作用があるっていう……?」
「ああ。あの機種のモニターには、最初からそういう目的で使うための加工が施されているんだ。その機能を利用することができるのは、水郷科学の関係者だけみたいだがね。あのガードマンは、特定のターゲットに対し、MF404の画面を無理矢理見せつけていたようだ。この電子ドラッグには強い中毒性があるから、一度見てしまった者は、毎晩ガードマンにまた見たいとせがんだ可能性が高い」
「だから私が解体してる時、なるべくモニターを直視しないほうがいいって言ったんですね」
「ああ。それに、その機種には、電源が入っていなくても端末の位置が認識できる機能がある。そのまま所持して俺が拠点に持っていけば、水郷科学の奴らに、俺の移動経路が筒抜けになる可能性があったからね。分解した端末は、うちの解析班に調査してもらう予定だ」
「もう、CLUB98は……アサやルノカは、大丈夫なんですか?」
「ああ、少なくとも、やつらはここではもう、同じ手口は使わないだろう。実はMF404を使用した事件は、ここだけじゃなくオウキョウ内で何件か起こっているんだ。たいていの場合、ターゲットは家出した少年少女や、親のいない者ばかり。CLUB98で狙われたDJも、そういう子たちだ。それから、あのガードマンは無意識のうちに任務を遂行させるための人体実験の被験者であった可能性が高い。これは推測だが、電子ドラッグもガードマンに対する人体実験もまだ研究段階で、適当なターゲットを設定した上で、実地実験をしてるんじゃないかと、俺は考えている。俺たちエニグマは、こういう事件を解決するために、日々努力しているのさ」
「ガードマンがルノカの名前を呼んでたってことは、多分ルノカがターゲットになってたってことですよね」
「ああ、恐らくは。おかしくなったのも、ルノカがステージに上がっていなかったから、想定外の事態に対処しきれなかったんだろう」
 昨日、私たちがアサと行動を共にしていなかったら、アサとルノカは電子ドラッグの餌食になってしまっていたのかもしれない。
 羽矢さんの行動が行き当たりばったりのように見えて、昨日はずっと不安だったけれど、彼は最終的に、この事件を解決へと導いてくれた。
「……羽矢さん、アサとルノカを助けてくれてありがとうございます」
 私がベッドに座ったまま頭を下げると、羽矢さんはふっと笑った。
「やっぱりアサちゃんは、いい友達を持ってるよ。巻き込まれて散々だったかもしれないが、事件解決に君が協力してくれてよかった」
 私と羽矢さんは、互いに笑いあう。
 そろそろ、羽矢さんは別れの言葉を告げるのだろう。
 ……でもそうはいかないと、私の中の商売の血が言っている。
 なぜなら私の手元から、ある商品がなくなっているからだ。
「羽矢さん。最後にひとつだけ、いいですか」
「ああ、どうかしたのか?」
「羽矢さんの持ってる解体したMF404のうち、一台はうちの商品ですよね」
 羽矢さんの動きがピタリと止まる。
「まさか持ち逃げしようだなんて、思ってませんよね?」
「オダイキン! オダイキン!」
 ピクも茶々を入れる。いつもは鬱陶しく感じるピクの余計な一言も、今日ばかりは頼もしい。
「……あー、コウさん? お手柔らかに頼む。いくら払えばいい?」
「そうだなぁ、付加価値も知っちゃったことですし……迷惑料込みで百八十万くらいで手を打ちましょうか」
「ひゃ、っくはちじゅうまん……か、お、おうわかった。振り込めばいいんだろ振り込めば」
「交渉成立ですね。ピク、今の録音した?」
「この通話、録画中! 言質トッタ! 言質トッタ!」
 ……結構吹っ掛けたつもりだったのだけれど。どうやら、羽矢さんには払う当てがありそうだ。
 ほとんど冗談に近かったけれど、一応、期待してみようかな?
「やれやれ、コーちゃんは、たくましいねぇ……おっと、そろそろ時間だ。世界を救うエージェントは、忙しいんでね。それじゃあ、またな。まあ、何かあればまた巡り会うこともあるだろう」
 ……できれば、もうあんまり関わり合いたくないですけど。
 その言葉を飲み込んで、私は彼とのビデオ通話を終了した。
 羽矢さんとの通話を終えた後、私はアサに会いに行った。彼女にはやっぱり、零時以降の記憶がないようで、ルノカのライブを楽しみにして列に並んだ所までしか覚えていないようだった。
 ルノカが体調不良でライブに出られなかったのがショックで倒れて家まで運ばれたなんて恥ずかしい、と彼女は話していたので、誰かがそういう風に吹き込んだのだろう。
「私、いつもCLUB98のライブになると倒れちゃうんだよね。緊張しすぎなのかなぁ」
 アサのそんな言葉に、私は苦笑いするほか無かった。
 その翌日、大寺さんが直接謝罪に来た。腕は痛まないかとか、色々聞かれたけれど、特に怒っていた訳でもないので、謝礼金も断った。
 ついでだったので、タロちゃんが監視カメラのデータを弄られたことに驚いていたと伝えると、そんなの水郷科学に属していた自分からすれば、朝飯前だと返されてしまった。
 ……やっぱり、水郷科学もエニグマも、普通に生きている人間が関わっていい組織ではなさそうだ。
 ――それから数日後のこと。私の口座に羽矢さんから本当にお金が振り込まれていた。
「半分くらい、冗談だったんだけどな。いちじゅうひゃくせんま……え?」
 私が出した条件は、百八十万。実際に振り込まれていた金額は、何度確認しても、千八百万と記載されている。
「ピク、何でか分カッタカモ! 振込名義! 振込名義!」
「振込名義? エニグマ所属、羽矢ヒデヒト……最高管理責任者……。」
 これのどこが、『下っ端』なんだ。私はため息をつきながらも……ちゃっかりと頂くものは、頂くことにしたのだった。